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これらの国家の判断能力に関する要件については、次の点が問題となる。すなわち、これらの規定は、はたして、個々の場合の国家の判断能力を基準とする国内標準主義にたち、個々の国家の能力と事情において、たとえば、「信ずるに足り」ればよいのか、それとも、国際標準主義にたって、国際的に要求される判断能力を前提とした上で、たとえば、「十分な根拠」があると判断されることを規定しているのかということである。さらに、伝統的な「相当の注意」の概念との比較において、国際標準と国内標準のいずれにおいて、「相当の」判断が求められるのか、そして、国際標準として、「相当」の程度を条約が基準化しているといえるかということである。

220条6項の「明白で客観的な証拠」については、たとえば、「相当の理由がある場合」といった規定ぶりにくらべれば、要件を客観的に基準化して、国際基準を設定しようという意図をみることはできるかもしれない。けれども、5項の「信ずるに足りる」については、国内標準主義にたった解釈も成立しうる。それゆえに、5項や6項の具体的な適用実践によるこれらの要件の内容の確立をまたなければ、国家に要求される判断が国際的に基準化されていると評価することはできない。

2] 232条第一文によれば、220条の規定に違反する「違法な措置」ではなくても、「合理的に必要な限度を越える」措置に起因する損害について、国家は責任を負う。そこで、「合理的に必要な限度を越える」という要件の意義は、220条の規定違反ではない執行措置について存在することになる。

「合理的に必要な限度を越える」という要件には、先にみたように、権限濫用原則との共通性がみられるが、国際法上、権限濫用原則の具体的な内容としては、目的の点で恣意的な権限の行使や、とられる手段における目的との比例性の欠如などが挙げられる(16)。権限行使の目的が恣意的であるとして規制されるのは、権限行使が国家の裁量に委ねられていることが前提であり、そうした場合について、国際法は、たとえば、外国人の追放や外国人財産の国有化などについて、それらが恣意的に行われることを制限している(17)。これらに比べて、沿岸国が、海洋環境の保護のために外国船舶に執行措置を取る状況では、国連海洋法条約上、執行措置に厳格な要件が規定されているのであるから、裁量に基づく権限行使という前提は成り立ちにくい。

 

 

 

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