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また、「合理的に必要な限度を越える」という要件が、「違法な」という要件とは明白に区別され、独立の内容をもつ要件として意識されていたかについても、疑問が残らないわけではない。したがって、起草過程からしても、特に、違法行為責任とは異なる根拠の責任を導入するという重大な意義をもつものとして、責任規定である232条において、「合理的に必要な限度」という要件が挿入されたとは解することには躊躇が残る(11)

そこで、条約上の執行措置の要件に違反する執行措置の行使以外の場合でも、執行措置に起因して損害や損失が発生しているときには、国家の責任が成立する可能性を232条は規定しているのであり、責任の性質の議論に拘泥するよりも、その内容を確認することが重要であろう。そうした「合理的に必要な限度を越える」要件の内容や、この要件にしたがって責任が成立する可能性の大きさについては、国連海洋法条約上の執行措置に関する要件の具体的な内容との比較として、後に検討することにしたい。

(2) 責任の主体

232条は、「いずれの国も」...「責任を負う」と規定しているので、国の責任を規定していることは明らかである。むしろ問題は、同条は、私人(つまり執行措置の対象となった船舶)が、執行措置をとった国に対して追求する責任を規定しているのか、そしてそれのみであるのか、それとも、私人の本国(たとえば、典型的には旗国)が、執行措置をとった国の国際法上の国家責任を追求する場合についても、同時に規定しているのかという点である。いずれの見解をとるにせよ、私人(船舶)が国家の責任を追求する場合は必ず232条の対象となる。その際に、232条は、国内法上の国家の責任について、その要件を国際法が規定しているのであって、国家は、232条にいう要件にしたがって、執行措置により損害をうけた私人(船舶)に対して責任を負うのであり、232条の第2文の規定の範囲で、国内法を整備する義務を負うことになる。それでは、232条は、国家対国家(つまり、典型的には執行措置をとる国とその対象となった船舶の旗国)との関係での責任を、その対象範囲からはずしているのであろうか。この点について、232条が、国家対国家の関係における国際法上の責任規定であることを少なくとも否定してはいない学説が存在する(12)

 

 

 

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