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(b) 大阪港のコンテナ貨物取扱量の急増

神戸港とは対照的に、大阪港は大震災の年である1995年に、輸出で1.5倍以上、輸入で2倍近くまで取扱貨物量を増加させている。96年に若干減少しているが、震災以前と比べて輸出で3倍、輸入で1.5倍の水準を保っている(図表I-4-21)。

 

図表I-4-21 大阪港のコンテナ貨物取扱量の推移

出所:大阪市港湾局『港勢一斑』各年版より作成

 

大震災後、神戸港で取り扱われていたコンテナ貨物のかなりの部分が大阪港に流れたことは、しばしば論じられてきた。これらの貨物はコンテナ船が神戸港から大阪港に寄港地を変更したことや、その根本的な原因である大阪市およびその周辺への最終消費者の地理的集中等によって、「神戸港離れ」=「大阪港乗り換え」を行ったと考えられる。これも「荷主主導型近接港湾選択」の一種である。

 

(c) 大震災以前からの「神戸港離れ=大阪港乗り換え」現象の進行状況

このように荷主の論理から見るならば、「神戸港離れ=大阪港乗り換え」現象が、大震災を契機として大規模に見られたとは言え、すでにそれ以前から進行していたと言える。図表I-4-22を見てみよう。この図表は阪神両港の集荷圏の推移を時系列で見たものである。

 

図表I-4-22 阪神両港の集荷圏の変遷─輸出入貨物の生産・消費地

108-2.gif 108-3.gif

出所:図表I-4-10に同じ

 

輸出コンテナ貨物の集荷圏を見てみると、近畿地方全体および兵庫県以外の全ての府県で生産された輸出コンテナ貨物の神戸港依存度は全て低下している。それに対して大阪港依存度は上昇(あるいは少なくとも横ばい)している。輸入コンテナ貨物においても、ほぼ同様の傾向が見られる。これらの数字は全て大震災以前のものである。

神戸港の集荷力の後退は、直接の後背地である近畿地方においては大阪港の台頭が大きな要因の1つとなっており、大震災以前から既にみられるものであるということになる。したがって神戸港の「競争力」の「喪失」とは、同じ関西地方内の主要港である大阪港により大阪港に近接した荷主の貨物を奪われてきたことも1つの要因となっている。

 

 

 

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