3.1 ヴィエトナムの開発・投資環境
(1) ヴィエトナムが日本に期待していたこと。
ヴィエトナムと我が国は、長らく関係が疎遠であったため、多くのヴィエトナム人にとって、我が国は未知の国であった。政府や共産党の60代後半の人材には、仏で教育を受けた者が多く、また、それ以下の世代はロシアや東欧で教育を受けた者が殆どである。このため、漠然とではあるが、ヴィエトナムの政府や共産党の中では、発展するということが西欧化するということとほぼオーバーラップして認識されていたようである。従って、著者が着任した3年前当時では、彼らにしてみると、欧米諸国と国交を開いていろいろな知見を吸収しようという気持ちは強かったようだが、日本への期待というのは、非常に希薄なものであった。それは、次に述べるようないくつかの事例からもうかがうことができる。
【日本はカネさえ出してくれればよい】
著者が赴任した3年前、即ち1995年は、まさにヴィエトナム・ブームとも言うべき時期であった。官民ともに多数の調査団が来訪し、因みに著者の着任時点で13本の関発調査を実施中であった。
このような中で、着任後、時々ヴィエトナム側から言われたことは、「日本からたくさん調査団がやってくるが、我々としては早く開発プロジェクトをやって欲しい。一体いつになったらプロジェクトをやってくれるのか。」ということであった。また、OECFに対してはヴィエトナム側は熱心に対応するのに対して、JICAの調査団に対しては熱意が見られないことが多々あった。一例を挙げると、都市交通に関し、マスタープラン及び優先度の高い案件のフィージビリティ調査中であるにも係わらず、調査団には何の相談もないままに円借款の要請が上がってくるようなこともあった。
極端なケースでは(といっても、よくあったのだが)、調査やテクニカル・アシスタンスを日本以外の国に要請し、そこで出来上がった計画に基づいて円借款要請を上げてくることもあった。また、技術協力が重要と考えて、JICAの長期・短期専門家を受け入れてはどうかと持ちかけると、「既に、そのテーマについては他のドナーからテクニカル・アシスタンスを受けている。」ということで、とりつくしまもなかった。以上のようなことに関して、ヴィエトナム側関係者と話をしていくと、要は「早く金を出してくれ。」ということになるのであった。
【ラボ買い】
我が国の安定にとって、東アジアの今後の安定は重要な条件であり、そのためには、周辺国と比べて経済水準の低いヴィエトナムがバランスの取れた発展を安定して遂げるということは、重要である。ヴィエトナムがうまく発展を遂げるための一つの手段として、我が国のODAを活用するのであれば、我が国としても我が国の資金をうまく活用できるように協力していくべしということになろう。