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この戦争では、いろいろな映画になっているから皆さんよくご存じだと思いますが、一説によると250万人とも360万人とも言われているそうですけれども、非常に多くの人が亡くなったそうです。これは、今のヴィエトナムに非常に影を落としております。南のほうの人たちにしてみると、北の政権につけ込まれて、その後、南の政権につながっていた人、例えば郵便局の局長ですら追放されて、もちろん本人もそうですし、それから、一族郎党といいますか、その子弟は、今でも国立大学には入れない、それから、国営企業にも就職できない、というような扱いを受けております。それから南の人たちは、例えば徴用されて軍人になった人もいるわけなんですが、南の軍人さんで負傷した人という人は、一切軍人としての手当てが受けられない状況であります。

他方、北の人たちはどうか、北の人たちは勝ったので、多少いい思いもあったし、南のほうで、例えば県知事になったり、警察署長になったりして、いろいろなポストを取りました。そういう点ではよかったのかもしれないんですが、やはり、相当戦争で多くの人が死んでおりまして、北の田園地帯を走っていると、村々にときどきつっ立った石碑があるんですね。これが烈柱と言って、烈士の墓と言われているものです。戦争で死んだ人たちの霊をそこに祀って、年に何回かそこで清めがあるんだそうです。

そういうことで、ヴィエトナムは今、南北統一されておりますけれども、依然として、南北間の人の間には、ある種日本の、今ではあまりないのかもしれないんですけれども、会津と長州といったような非常に感情のもつれが今でも残っておりまして、ヴィエトナム人同士が、北の人は南の人を信用しないし、南の人は北のことを全く信用していないというような状況でございます。

ヴィエトナム政府もその辺はよくわかっていまして、ヴィエトナムの政府、いろいろな機関をつくるときに、なるべくいろいろな地域の人を入れて組織をつくろうといたします。ただ、なかなか外資系企業でポッと出てきちゃうと、なかなかその辺がわからなかったりして、南のやつらに金を持たせろなんていうと、北の連中が猛反対するんですね。南のやつらに金なんか持たせたらどこかへ行っちゃうというぐらいの反対の仕方をいたします。

それから、その後、今の北ヴィエトナム政府が戦争に勝って、念願だった社会主義化を始めるわけです。1976年に統一政権ができて、やり始めるんですが、この急速な共産主義化が全くうまくいかなかった。一つは農民の生産意欲が大幅に減退してしまって、農業生産が全くふるわなくなってしまって、かつて農業国だったヴィエトナムが、米が足りないという事態が80年代になって出現するわけです。

これはどうしようもないということになって、始めたのが、ドイモイ政策であります。1983年ごろから、前の首相だったボー・バン・ケットさんが、南のほうで、実験農場をつくって、農民の自主的な管理に任せて生産をしたらどうだということを始めたわけです。これによって、生産高が上がるということが実証されて、1985年から、ドイモイという政策が本格的に取り入れられてくるわけです。

それで、やはり社会主義一辺倒ではだめだということで、中央集権的な社会主義経済から、分権的な開放市場経済、社会主義市場経済化を目指します。その後、1980年代後半ぐらいに、今度はソ連が崩壊してしまったものですから、いろいろな援助が打ち切られて、また経済が大混乱するんですが、ようやく1991〜2年のころから、だんだん軌道に乗ってきて、ここ、7、8年では、毎年、平均すると大体10%ぐらいの経済成長をして、なおかつインフレも平均すると14,5%ぐらいのところに抑え込んだということで、まあまあ何となく豊かになってきたというところが、今のヴィエトナムでございます。

で、そういうヴィエトナムという国でございますが、今、申し上げたように、戦争ばっかりしておりましたので、なかなかインフラが整ってございません。そういう点では、運輸経済協力という点では、一大のお客さんということが言えるかもしれません。

こうして帰ってきて探してみると、あまりいい写真がないんですけれども、例えば、これが、(あんまりよくないですね。)ホーチミンの駅です。わりあいと、昔、鉄道しか主な輸送ルートがなかったので、わりあいと駅はしっかりつくってあるのですけれども、遠くにちょっと列車みたいなのが見えるかもしれませんが、非常に客車は老朽化していて、貧弱でございます。

それから、あまりいい写真がなくて、皆さんコンサルタントの方のほうがいいものをお持ちかもしれないのですけれども、これはヴィエトナムのダナン港でございます。ここの港も、水深10メートルぐらいあって、将来的には有望な港の一つなんですけれども、桟橋のパイルが腐っておって、しかもクレーンもない。それから、防波堤がないものですから、冬場の季節風が吹くと波が立っちゃって稼働率が3割以下に落ちちゃうということで、あまり荷役ができないというような港でございます。

こんなふうに、非常に貧弱な状態でありまして、道路の舗装も、国道全体で30%ぐらいだったと思うんですが、非常に舗装率も低い。何しろ戦争をやっていたわけですから、インフラをつくろうということがなかったわけなんですね。それで、こちらのレジュメの6ページのところにも書いてありますが、非常に低い道路の舗装率ですし、鉄道も単線、1メートル軌道で、線路も車両も老朽化しているということであります。人によっては、ヴィエトナムの社会資本整備というのは、1945年でとまっているんじゃないかと言われているぐらいでございます。

 

 

 

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