それから、最近日本も平和が続いたものですから、あまり明治時代、あるいは戦前のように、民族としての誇りとか、独立とか、自尊心みたいなものがだんだんなくなってきちゃったのかなと思いますけれども、ヴィエトナム人はその辺、やっぱり長い間戦争をしましたので、非常にその点は激しい感情を持っています。ですから、あるとき、JICAの専門家として来た方がいまして、非常に日本では高い地位にあった方だったんだそうですけれども、ヴィエトナムのお役所に行って「ヴィエトナムは発展途上国だからね」と言ったら、その相手の人がむきになって怒って、「ヴィエトナムは発展途上国じゃない」と強硬に言ったんですね。どなられちゃってびっくりしちゃった。「だって君、ヴィエトナムはOECDの中のDACのリストに入っているだろう」ということを言いかけたらしいんですけれども、相手の顔色がどんどん変わってきたのでやめたんだそうです。そのくらい、やっぱり自尊心の強い人たちであります。ですから、ついつい我々、似たような顔つき、あるいは似たような習慣、文化を持っているからと思って気軽に物を言ってしまうと、やっぱり後で非常に後悔することがありました。
どうしても今のヴィエトナムを考える上で欠かせないのが、ヴィエトナムの歴史であります。ヴィエトナムは、なかなか歴史は古うございまして、2,000年より前から、このハノイを中心とする平野部に今のヴィエトナム民族が住みついていたのだそうです。ところがその後、秦の始皇帝のころに、紀元前に中国から侵入されて、席巻されてしまった。中国に支配されて、ここに中国政府の総督府ができた。
以来、ずうっとヴィエトナムは、民族独立の戦いを中国に仕かけてきまして、正式に独立するのは、紀元後1000年ぐらいですから、約1,000年間中国の支配を何度か受けた。ときどき強いのが出てきて、独立運動をやって、中国をやっつけちゃうんですけれども、また中国に攻め返されて、やっつけられちゃうということです。ですからヴィエトナムでは、いろいろな道の名前に昔の人の名前がついているんですが、これが大体、昔の豪傑、中国と戦って勝った人の名前がついております。
それからハノイの中で、大体お客様が来ると連れていくのが水上人形劇なんですが、水上人形劇に連れていくと必ず出てくるのが、レ・ロイ王という、昔、中国と戦って勝った王様の話が人形劇に出てくるということで、そういうことで非常に中国に対しての感情が根強いものがあります。
東南アジア諸国の中で、大体経済の実権を握っているのは、華僑が握っている国が多うございまして、フィリピンにしても、今の騒乱になっているインドネシアにしても、マレーシアにしても、わりあいと華僑経済というのが経済の上のほうに行っていることが多いわけでございますが、ヴィエトナムについてはそれが当てはまらないわけです。華僑は、いないことはないんですが、このハノイの近辺にはあまりいません。ヴィエトナムは、中国で清という王朝ができたときに、清という国は満州民族の国なんですね、ですから、漢民族が迫害されて南に、ヴィエトナムに逃げてきた。それをヴィエトナムの王様は、こいつらを何とか使ってやろうということで、当時ヴィエトナムは、このあたりに首都があったわけです。おまえら、ちょっと、こっちの南に行けと言って、このメコンデルタのあたりを開拓しろと言って開拓させました。
ここは、ほんとうはクメール人、今のカンボジアの民族が住んでいたんですけれども、この人たちはあんまり灌漑をやったりとか、そういうことをしないで、自然農法的な米づくりをしてきたし、ほぼ自給自足のことしかやってなかった。そこに中国人が行って、新田開発をして、だーっと領土を取ってしまった。その勢いに乗じて、ヴィエトナムは、当時は、勢力圏が北からこのあたりまでだったんですが、だんだん南に攻めていって、ついに、ここまで版図を広げたというような歴史がございます。そういう点でヴィエトナムは、中国からわりあいとやられていた。南に対しては、だんだん攻めて、こっちへ伸びてきたというような、そんなふうな歴史を持っている国であります。
それから、もう一つ重要なことは、フランスの植民地支配を受けたということでありまして、ほぼこの今の全領土を制覇した後、今度はフランスがやって来ました。フランスは、中国に進出したかったわけでございますけれども、イギリスに上海のあたりの利権を取られてしまってあせっていたわけですね。それで、その当初フランスは、このメコン川を調べて、メコン川を遡って雲南のほうに行こうというルートを考えたそうです。ところが、このカンボジアのほうに入ったところに滝があって、メコン川を船で遡れないということがわかったので、諦めまして、じゃ、もうこのあたりは全部植民地化しちゃおうということで、カンボジアを植民地にして、それからラオスを植民地にして、それで、最後にヴィエトナムを植民地にしたということであります。それが、19世紀の終わりぐらいでございますが、その後、ヴィエトナムはずうっと今度はフランスに対して独立運動を戦ってまいりました。それで、それが終わったのが、第二次世界大戦の後、1945年の9月2日にホーチミンさんが独立宣言をして、民族独立をうたった。それで、今のヴィエトナムのもとができたわけです。
ところが、今度は、こちらが共産党系だということで、アメリカおよびフランスが非常にまた警戒を持ちまして、フランスがまた軍隊を送って、またもう一回再占領した。それで、日本軍の撤退に合わせて、今度はフランスが入ってきて、またもう一回領土にしたんですね。今度は、ホーチミンさんは中国の援助を受けて戦って、これをやっつけた。アメリカが今度は対抗して、南に自分の傀儡政権をつくった。そして今度は南北戦争が起こりまして、わりあいと皆さんご存じだと思いますが、つい最近、1973年までアメリカに支えられた南のサイゴン政権と、北のハノイの政権が内戦をやっていたということでございます。