まあ、環境面でいいし、ビジネスチャンスも増えるし、という説明をいくらしても、なかなかそのほかのインフラとの差があって、プライオリティがなかなか上がらないという状況があったわけです。そこを何とかということで、少なくともことしの3月から6月ぐらいまでの資金需要については、タイ政府、タイ大蔵省のほうで面倒をみてもらえるということになっていますが、その後はもうわからんよということになって、その後─こちらに書いているのは、私の後任がつくったものなんですが、今年度はどうしたかというと、「通常の年次借款とは別に、緊急分として、297億円の借款が供与されることになった(7月31日、L/A調印)。この部分は円借款100%の融資比率となっている」ということで、これは毎年こういう形になっていくのだと思いますが、実は、6割、4割と決めた比率がなし崩し的に破れて、いまやこの地下鉄プロジェクトというのは、100%日本の円借款でトンネルを掘っているという状況になっています。うそかほんとうか知りませんが、東京銀行内幸町支店で振り出された小切手は、5分後には、〜建設、〜建設というふうに裏書きをされていくと。つまり、タイ政府がどこで取っているのかよくわからないというのが、この資金スキームになっているわけでございますが、こうでもしないと工事はとまるような状況で、非常に現状不安定な状況に陥っておるということでございます。
一方で、運輸省が目指しました、その車両導入にかかわる部分というか、これは、先ほどから申し上げております民間セクターのほうでやるわけですが、そちらのほうも難航しております。いわゆる、日本のグループでとっていただきたい、日本の車両を走らせたいという非常にわがままな希望が、運輸省、または日本の大使館にあるわけでございますけれども、その中で、当初は、日本勢というのは一つのグループで出るというふうに聞いていたのですが、途中で、バンコクで仲たがいがありまして、今2つに日本グループが分かれてしまっています。さらに面倒なことは、この2つのグループが最有力グループと言われておりまして、しのぎを削っているということで、当然日本大使館は、こういうときは等距離外交ということになるわけでございます。
その意味でいうと、運輸省も、両者と並行しておつき合いしながら支援していくということなのですけれども、技術協力の核となります営団地下鉄は、なかなか両方に認可をするというのはできません。したがって、実は、この2グループの1グループにかなり支援をした。つまり、ある意味で、1グループの中に入って、技術協力をこれからやっていきますということを表明しているわけでございますが、交渉が続いているということでございます。この契約が締結されたかどうかはちょっと聞いていないのでございますが、こういう形でやっているということでございます。
それから、駆け足で恐縮でございますが、空港のほうでございます。こちらもタイの動機と、それから日本の動機というのがございます。タイの動機、タイがなぜ30年間眠っていたようなプロジェクトを進めようとしたか。これはもう端的に、アジアにおける空港整備競争の中で、タイだけがおくれるわけにはいかないということでございます。ご承知のとおり、マレーシアで、関西国際空港が4つも入ろうかという大きな空港ができ上がっておりますし、また、香港の空港も開港いたしました。その前に、シンガポールの大規模なチャンギ空港は、もう既に整備を終えているという状況の中で、タイだけが、現在3,400メートル2本の滑走路でございますが、軍と共用ということで、本質的には1本分ぐらいしか動いていないという空港でございます。そこが1992年ぐらいから、どんどん需要が増えてまいりまして、エアラインもどんどん張っていくし、2,000万人を1995年に超えまして、えらく手狭になってきたということで、ターミナルだけは、何とか国際ターミナルを新たにつくったのですが、滑走路1本じゃどうしようもないという状況でございます。政治的にも、こちらのタイというのは、みんなと仲良くしているようですが、やはりマレーシアやシンガポールに競争意識がございますので、そこはタイ政府としても、新しい空港に着手せざる得ないという状況があったわけでございます。
一方で、日本側の動機、外務省の動機というのは、これは先ほど地下鉄で述べましたとおりと同じでございます。全体のポーションの中で、タイが落ち込んでいくということはリスキーだという状況でございました。
運輸省の動機、これは私の動機でもあったのですが、当時、日米航空交渉というのが非常に脚光を浴びてというか、際どい交渉をずっと続けている状況で、暫定合意のないままに、相手国の航空会社の認可を日本の運輸省がやらなかったり、また、逆がやられそうになったり、もしくは、日本のエアラインがアメリカへ入れないというような脅しをかけられたりという厳しい状況にございました。
このアメリカとの航空関係で、当時先頭を走っていたのは、フランスと中国、さらに、明確な形でやっていたのが、タイでございまして、1989年にタイは、アメリカとの航空交渉を破棄という、暴挙とも思えるようなことをやったわけでございます。それから5年間、アメリカとの航空交渉はずっと破棄し続けると。つまり、航空交渉というのは、ご承知のとおり、2国間の輸送力の取り決めを行って、または、指定地点という地点をつくる。もしくは、指定航空企業という形で、要は、自国のエアラインの権利を守るために交渉を行っていくわけでございます。1989年当時、日本と同じ以遠権という問題で、不平等条約であるということで、タイはアメリカとの交渉を破棄してしまったわけでございます。