調査団滞在中の同月30日(水)には現地紙“New Straits Times”がアンワール氏裁判の生々しい記事を報じていたが、現地行動には特段の支障はなかった。
その後98年11月中旬のAPECのクワラルンプール開催も米国との軋轢や一部ASEAN諸国とのアンワール(元)副首相の逮捕問題を巡る感情の縺れがあったものの、短期外資問題に何らかの政府関与の必要が認識されるなど所期の日程を消化している。
1999年1月11日アブドラ副首相兼内相(前外相)の就任を柱とするマレーシアの改造内閣が発足した。マハティール首相の後継者が固まったことに加え、かつて高度経済成長路線を推進したダイム特命相が復帰したことが好感されている。アンワール前副首相支持派を軸とした熱心なイスラム教徒と穏健派との亀裂が深まる懸念も抱えながらの船出となっている。
与党・統一マレー国民組織(総裁マハティール首相)の役員を決める党選挙は99年6月から2000年末までに延期したが、アブドラ副首相(副総裁)に総裁代行の座を確保するための時間を与えたものと見られている。(99/1/12日経朝刊8面)
第3節 タイの政治情勢
96年11月に成立した新希望党チャワリット政権は6党連立の下、97年後半バブル経済破綻を嫌った短期外国資本の引き上げに起因するタイ発のアジア通貨危機が勃発。
97年11月には、民主党チュアン・リークパイ党首を首班とする8党連立政権が成立し、国民生活を直撃した物価上昇、雇用不安などに対しIMF指導下の経済復興の優等生として国の再建に取り組みつつ政情は安定している。
タイにおける戦後の政権交代の事実が示す通り、もともとタイの政権交代は無血であることで有名であると理解されている。
調査団の現地滞在中、例の交通混雑以外、治安面の問題はなかった。
第4節 台湾の政治情勢
1949年12月7日の国民党政府の台湾移転。1971年10月の国連関係断絶、1972年9月の日中国交樹立に伴う日本との断交など、台湾は大陸、中国との関係が陰に陽に現れ、多くの国との国交断絶が続き、大陸との間では常に臨戦態勢下での「奇跡の経済成長」を遂げ、アジア新興開発途上国の一角を担ってきた。(現代用語の基礎知識1998)