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付録-1 セミナー特別講演

 

セミナー特別講演(スエズ運河局招待)

 

<以下講演内容>

本日はこのような大勢の方々を前にして解撤事業に関する講演の機会を得ましたことは、大変光栄でございます。

我が社は日本の中手の造船会社で子会社2社とともに、新造船を年間20から25隻つくっておりますが、新造船の供給者として応分の解撤事業をすべきとの理念に基づき、新造船の建造と平行して解撤事業を推進してきました。しかし、日本経済の高度成長により、国内における解撤の経営が困難になり、1970年に中止せざるを得なくなりました。

その後、1972年から解体船舶船価の約15%を国が助成してくれることが、制度化されたので、スクラップ事業を再開しました。日本の造船業会で独自に解撤を行っていたのは、我が社だけでして、他に解体の専業者が六社あります。国から助成はされるものの苦しい経営は厳しく、苦肉の策として海外への進出を決断したのであります。日本から海外へ進出したのは2社でありまして、その1社が我が社でフィリッピンヘ、日立造船グループがベトナムへ進出しました。

我が社のフィリッピン工場については、写真とスライドを少々持参しましたのでそれを見ながら説明します。フィリッピンでは1993年から工場建設と平行して事業を始め、最初の船は10ヶ月の工期を要しました。以来、隻数を重ねて15隻目に取りかかっており、これを10月に完工しますと、177,000LDTを終えることになります。

7月末現在の従業員数は、解体部門400名(うち344名が下請け)で、6100トンの解体ができました。これは7月1ヶ月の実績です。他に伸鉄部門に139名の従業員がいて、3交代制で就労し、ほぼ3000トンの棒鋼を生産しております。

フィリッピン進出に際しては、船舶から発生鋼材を再利用して棒鋼をつくることを許可されることを条件として進出しました。果たせるかな、伸鉄材最上級品である外板を棒鋼に加工してもらうべく売り歩きましたが、誰も買ってくれず、自分で棒鋼に加工する工場を持ったことが正しかったことを知りました。インドの解体事業が成功しているのも発生品を有効利用してくれる伸鉄工場があり、適正な価格で買ってくれるからであります。

今少し、解体事業の成否の鍵を握るともいえる伸鉄についてもうし述べたく存じます。伸鉄とは解体によって発生した鋼材をシアリングマシンで短冊状に切断し、それを加熱炉に入れて赤く来上がったものを圧延機に送り込んで棒鋼に再加工することです。我々のセブでは12m・m、10mm、8m・mの棒鋼を生産しています。加熱炉への送り込みと、No.1ロールヘの挿入は人力でやっています。人力による連続作業の疲労度を考慮しいっぺんの材料を25kgくらいを最大としています。そうすると、最大の材料によって作られる製品は12mmで24から25mになるはずです。これを6mmごとに切り製品とします。

 

 

 

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