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放棄するということではないのです。今の制度では、放棄させないための仕組みがなければ、放棄してしまいます。そして、自分自身がいなくなってしまうのです。これがすべてです。この問題は非常に根の深い問題で、一漁業権のひとつの手直しだけではできない。

漁業権放棄は多数決で2/3以上ないとできないという法律の仕組みがあって、2/3取るには相当手を挙げないといけない。100%なんてありえない。泣く泣く放棄している漁民がいるということです。ここら辺に日本の悲劇があるわけです。そういうところを理解しながら我々もやらないといけない。

 

【小倉】本当に実感のある、身につまされるお話です。

 

【小島】農業や漁業という生産の場ではなく、私は消費の側にふだんいるので、そちらからの意見です。

例えば、何十年か前は沿岸で漁業をしている方も漁期以外のときに漁具を作るために山に木を切りにくる。そのときに海産物を持っていき、物々交換のようなやり取りもあった。それが地域毎、もしかしたら水系毎に行われていたのですけれど、今はそれが大きく変わってしまっていると思うのです。

どこに住んでいても、金さえ出せば、行ったこともない外国の食べ物でも何でも買える時代になってしまっている。そのことをどうするか、とここで言っても簡単に結論は出ないと思うのです。

いろいろな場面毎の顔の見える関係、昔はコミュニティで当たり前にあったものが失われていって、それをどう回復していくかが大きな課題だと思うのです。それぞれの生産の立場の方には努力をされている例がたくさんあると思うのですが、そこに消費者がどのように入っていけるか。

例えば、今日この会場にいらっしゃる方は都市生活者ですが、「どう実感していったらいいのか」という、自分としての問題意識をお持ちの方がいると思います。しかし、世の中一般はそうではない。そうすると、幼い子どもさんへの教育の問題とか、現場だけで頑張っていてもどうにもならないことを、もっと公約数的に広げていく仕掛けのが重要になってくる。ということを、提言にはなっていないのですが、議論の中に加えていただきたいと思います。

 

【小倉】確かに顔が見えない、実態がなかなか見えてこない。循環はしているのだけれども、飲み水もどこから来て、どこで下水として処理されるのか、なかなか見えない関係になってきている。昔はひとつの流域単位で物事を考えていたけれども、全然それが見えなくなってしまった。

そういうことに関する教育、という問題が出てきました。小さい子どもたちの環境教育、あるいは環境学習というものも、これから次世代を担う子どもたちを育成していくために、大変重要なことではないかと思います。

環境教育に関連して、ケビンさん、何かお考えがありましたらお願いします。

 

【ケビン】今まではずっと文化人類学や資源管理その立場から発言をしてきましたが、今度は一転してナチュラリストの立場からお話しします。

身近な自然、農村の自然、漁村の自然、現代的にはどのように日常生活の中に取り込むか。実際にそこで仕事をやっている人はどのように考えているか。それには全く仕事としては関係ないけれど、近くに住んでいる人にとって、自然はどういう意味があるのか。その事例として、僕が住んでいる千葉県についてお話しします。

僕は日本橋から電車に乗って1時間くらいの千葉県と茨城県の県境、利根川と印旛沼、手賀沼に挟まれた田園地帯、稲作が盛んなところに住んでいます。

僕が住んでいるのは千葉ニュータウンという大きな公団住宅です。千葉の一番北、北総地方とも言います。十数万人の千葉ニュータウンの周りに、たぶん全部で何百軒くらいの農家があります。田んぼと畑、雑木林が残っています。里山の自然とかカントリー地帯の自然がこの数十万人にとってどういう意味があるのか、考えたいと思います。

我々は現在情報社会に入っている、とよく言われます。よく考えると、我々の日常生活は朝から晩まで情報を吸収しっぱなしの生活です。朝起きるとすぐにテレビをつけて、「ニュースを聞いて、車に乗るとラジオ、電車に乗っている人は新聞や雑誌を読んでいます。朝から晩まで絶えず大量の情報を仕入れているのです。

 

 

 

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