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【小倉】まさに「つながり」といいますか、ものが循環すると、バランスのとれた循環系が成り立てば、いわゆる環境問題というのは起こってこない。資源でもエネルギーでもうまく循環させることが非常に大事なことではないかと思います。

さて、一通りご質問に対するお答えと補足等をいただきました。これから、このシンポジウム最後ということで、陸域起因の海洋汚染を防止するためにはどのような考えでどうすればよいか、最終的に何か提言みたいなものができればいいと思うのですが、少し議論を深めたいと思います。

ひとつは、身近な自然の力を見直して、身近なところから快適な環境ができないか。昔から日本の伝統的な手法として自然を管理しながら、自然の機能を十分に活用しながらうまく自然と人間がつきあってきた。そのシステムがだんだんと崩れてきた。

それから、そのシステムが崩れてきて、プラスチック・ゴミなどどうしても自然に浄化できないものがたくさん出現してきています。そういうものをどうやって、小島さんのお話のように「いらないものは使わない、買わない、作らせない」、「そのような人間の機能と役割を見直す」ようにするか。

それで、自然の機能を十分に活用して管理する。昔の伝統的な「里山」「里地」はうまく管理されていたけれど、その体制が崩れてきた。ケビンさんのご意見でそれははっきりしてきました。

先程提言をいただきましたが、もう少し身近なところで、この自然の力をもっと有効に使うためにはどのようなことを我々はすればいいのか、提案を含めて一人一人が何ができるのか、何が有効なのか、その辺を少し議論をしていただきたいと思います。

 

【宇根】「自然の管理」という言葉は現代的なものの言い方であって、かつて自然の管理がうまくいっていたころは「自然」という言葉もなかったし、「管理」という言葉もなかったのです。つまり、暮らしの一部として山とつきあい、田んぼとつきあい、川とつきあい、海とつきあっていた。しかも、それはひとつの技術として、暮らしの中に組み込まれていたのです。

例えば、山の薪を利用する暮らし、山の下草を田んぼにすき込む暮らし、あるいは田んぼのあぜ草を牛に食べさせる牛の飼い方、そういったものが近代化によって「遅れているものだ、能率が上がらない、金がかかる、しんどい、不便だ」ということで廃れていく。それによって自然も荒れていく。

自然の管理を取り戻すためには、ふたつの方法があると思うのです。

ひとつは、やはり自然とのつきあいを暮らしの中にもう一度現代的な意味で取り戻す。これはかなりしんどいことでしょう。いまさら「ガスをやめて薪にしましょう」と言われても、僕も風呂くらいは薪で焚いていますが、あとはちょっと薪で焚く気にならないです。そういう余裕もないです。

もうひとつの方法は、社会的な仕組みとしてカバーできるようにすればいい。

例えば、昔は田んぼのあぜ草とか山の下草で牛を飼っていました。今そういう牛の飼い方をすると、外国の安い牛肉に絶対太刀打ちできません。ましてや霜降り肉なんて絶対できません。農業として、産業として成り立たないから廃れていったわけです。

だからあぜ草は、今はもう本当に利用価値がなくなり、厄介物扱いきれるようになっている。資源のすごい無駄づかいです。畜産のやり方も、今は輸入飼料ばかりで育てているわけで、不自然です。ましてや輸入の肉がどんどん入ってきている。

そういう牛の飼い方は効率が悪くて、コストが高いかもしれないけれど、自然循環からいったら、本当の牛肉の安全性とか栄養とかを考えたら、かえってそちらがいいかもしれません。そういう牛肉に合った料理の仕方も考えればいいわけです。

きちんと環境を守っている、自然を守っている、国内での循環を大事にできるから公的に支援とするということになれば、そういう牛飼いも簡単に復活できると思うのです。

そういう視点で農業政策が行われていないし、そういう面で産業政策や環境政策が行われていないから、どんどん悪くなっていく。社会的な政策、仕組みのあり方をもう一度変えていけば、いろいろなアイディアが生まれてくるのではないかと思います。

 

 

 

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