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小倉さんは東京湾の例を挙げました。今東京湾に残っている指折りの浅瀬、干潟である三番瀬というところがあります。最近になってその埋め立て担当の行政が埋め立て計画を少し見直さなければならないことをわかってきたのに、地元の漁業協同組合が埋め立てを一生懸命進めているのです。なぜかといえば、埋め立てれば補償金をもらえます。

日本の今の海辺の自然はこのようにやられっ放しです。これからどうすればいいか?

ひとつは、アメリカのような制度をそのまま導入する。僕は日本だとそれほどうまくいかないと思う。日本に昔からあった漁業権制度も無駄になって、もったいないと思います。

日本では、ある程度アメリカとヨーロッパで使っている科学調査に基づく資源管理とか自然維持、それを取り入れながら、日本の漁業権制度を少し改良して、合体すれば一番いいのではないかと思います。

 

【小倉】欧米できれているような科学的な調査をしっかり行い、経験に加えて対処すればいいのではないか、という大変大切なお話だと思います。

農業の件で、宇根さん、いかがでしょうか。ご質問に答えていただいて、少し補足をしてください。

 

【宇根】5人の方から質問が来ています。

 

「いったん汚染された田んぼの土をもとにもどす方法はないのか?」

 

「肥料を減らす農法はないのか?」

 

「あぜ草を刈る時期、あぜ草を楽しむ方法はないのか?」

 

「沖縄の西表島では、アイガモを田んぼに放すと、イリオモテヤマネコがアイガモを食べてしまう。そういった問題をどう考えるのか?」

 

「東京育ちなのだが、農業との関わりをどのように自分は今後つくっていったらいいか?」

 

乱暴に一言で答えたいと思います。

先程小倉先生も言われた、市民の科学とか新しい運動という提案ですが、僕はやはり「実感しないと駄目なのではないか」と思うのです。

科学は人間の実感、暮らしの中での実感をかきたてていく、より深めていくための道具にすぎないと思っています。その道具ですら十分になかったことは反省しないといけないと思います。実感をかきたてるような、あるいは深めていくようなものは何なのだろうか、そういう運動は今後どうあるべきなのだろうか、と考えるわけです。

自分が住んでいるところの環境となると、北海道と九州ではまるで違うし、九州でも山の部落と海辺の部落では全然違う。自分が生きる場の実感を研ぎ澄まして深めていくようなことが要るのではないか。

「土を肥やす」と言います。野菜だったらたい肥を入れるとすごく野菜の味がよくなるとか、生育がよくなるとか、目に見えて実感できるのですが、田んぼの場合はあまり実感できないのです。というのは、田んぼの場合は肥料を全くやらなくても7〜8割は稲ができます。それくらい土の力、水の力、微生物の力が強力なのです。本当に土づくりをしていく意味を実感するためには、いろいろな表現の仕方、科学のアプローチが必要だと思います。

カブトエビが増えるのは、たい肥を入れて、カグトエビの餌である草もミジンコも増えるから。ミジンコが増えると、それにひかれて水路からメダカがさかのぼる。ドジョウが、ウナギがさかのぼってくる。そういう生きものが増えると、それを餌にするトンボやカエルが増える。

そういった生きものを通じて田んぼの土の豊かさを実感する。そういう回路を今まで科学は提供してこなかった。それをまた提供していこう、ということが実感を深める方法でもあるわけです。そうすれば、ダイオキシンとか化学物質で汚染された土も、微生物の力できれいになっていくのも、また別の意味で、それこそpptとかppbの単位の環境ホルモンの汚染もこうやって防げるのだ、こうやってカバーできていくのだな、という実感も生まれてくるのではないかと思います。

あぜ草もそうです。あぜ草を楽しみ、あぜ草がきれいだなと感傷にふけっていても、稲の生育には全然影響しないどころか、「そんな暇があったらやるべきことをやれ」となります。「あぜ草が美しいな」と思う実感、一銭にもならないけれど、この実感で支えられている世界もあるのです。

僕は遠くに勤めているので、家に帰ってくるときには薄暗くなっています。

 

 

 

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