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福岡の我々の調査では赤トンボは一反(1000m2)の田んぼに、多くは5000匹生まれます。1匹10円にして5万円で、米2俵分の値段です。これはだれも払おうとはしません。

田んぼではいろいろな生きものが生まれ、田んぼの上を吹いてくる風は極めて涼しいです。あるいは、田んぼの風景はすごく和みます。特に、手入れをしている棚田の風景は本当に美しいと思います。それは全部タダで、一銭にもならない世界です。

それを農業政策が「とにかく米を余計に作れ」、あるいは「コストを下げて外国に負けないように作れ」とほとんど評価しませんでした。それ一辺倒でやってきた結果、金にならない世界は軽視され、切り捨てさらざるを得ないようになっていったのです。

これは百姓だけの責任ではないと思います。いまだにそういう動きが続いています。安全で安くて、おいしくて、安定して供給できるならば、外国から食べ物を入れても何ら不都合がないという人たちもかなり多いのです。それに対してきちんと反論できないのが、今までの百姓だったし、今までの農業政策だったと思います。それは、金にならない世界のことを表現しないから反論できないのです。それを今からスライドでお見せしたいと思います。

3番目には、実は農業が自然環境と深くかかわっているのだ、ということです。

もちろん、漁業も林業もそうだし、都会の暮らしも実はそうです。だから、例えば外国から米は全部入れるから田んぼを作らないようにしよう、となったら、赤トンボは川や池で育つのはもう2〜3%ですから、ほとんどいなくなるでしょう。残りの97〜98%のアキアカネや西日本のウスバキトンボにしても、水田で生まれて育っています。風の温度もや水の美しさも変わるでしょう。メダカ・ドジョウもさらに減るでしょう。

そういった農業と自然環境の関係をきちんと表現していくような学問が、日本には全くありませんでした。やっとそれを生態学者や、ケビンさんのような文化人類学者など、いろいろな人たちが始めていますが、農学者の側から提起した例は今までほとんどなかったのです。それが脚光を浴びて、少し研究が始まったのはごく最近です。つまり、そういう自然と人間の関係を表現していくような学問も運動もないし、そういう習慣も日本には育たなかったのです。これだけ自然環境がガタガタになっていながら、そういう運動をやはり百姓の側が提起できなかったというのが情けなく、我々の最大の反省です。

それではいけないということで、最近では「環境稲作」を提唱して、環境守ることこそが農業の役割で、食べ物を供給することは当たり前のことです。我々は環境を形成し、農業は自然を作っているのです。その分だけ我々の農業のあり方も厳しく見つめざるを得ないし、取り直さざるを得ないし、チェックされざるを得ないでしょう。それに応えるだけの農業をしていこう、ただ安全な食べ物を消費者に届けるというレベルを越えて、自然環境にきちんと責任を負うような農業にしていこうとしています。

ただし、それに対しては一銭の助成もない。農業政策で、銀行などに公的資金をつぎこむ金があるなら、そういう世界にこそつぎこめと思います。金にならない世界こそが、今から一番未来に残していく宝物ではないか。百姓だけの宝物ではなく、国民全体の、地域の人たち全体の宝物ではないかと思います。このような新しい運動を我々は提起しています。

では、具体的にどういう世界が田んぼの中で展開され、それをどう表現しようとしているのか、スライドで見ていきたいと思います。

<以下、スライド併用>

福岡県の名物の水車です。田んぼに水を送るために先人はすごい施設を考えたと思います。

レンゲ畑です。冬に麦を作っていない所はかなりレンゲが植わっています。レンゲを求めてミツバチが飛んできます。ミツバチのためにレンゲを植える人もいます。このような世界が5月頃に繰り広げられます。

今は少なくなってしまった、菜の花です。ナタネです。これはキンポウゲ、あぜ草です。

あぜ草を切る暇があるならば、もっと何か生産に寄与することをしたい、金もうけをせよ、ということが今までの政策です。あぜ草の美しさというのは一銭にもなりませんが、百姓仕事の合間に百姓を慰め、野の花の美しさを教えてきたものです。

 

 

 

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