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僕自身が本当に海のことを田んぼとのつながりの中で自覚したのは、ダイオキシンの問題でした。水田のダイオキシン汚染は相当深刻です。なぜかというと、ダイオキシンを含んだ除草剤を全国ほとんど例外なく使ってきたからです。

今から15年前、ダイオキシンが含まれている除草剤が問題になりました。今では回収処分されて使われておりませんが、MOという除草剤です。Mは三井東圧化学で、Oは大牟田の略です。商品名はいろいろありますが、これは全国で使われました。

15年前にダイオキシンが含まれているということで真っ先にやめたのが福岡の百姓でした。そのときに何を我々が知ったかというと、実は田んぼで使われた除草剤に含まれているダイオキシンが一番蓄積するのが海の魚と貝だったことです。

その当時、有明海は相当に汚染されました。幸いそれで人が死んだりしていないからいいようなものの、ひょっとしたら、事態は意外なところで進展するかもしれません。かなり不安です。我々が何でそれを追放したかというと、やはり安全な食べ物を作りたいという運動をやっていたからです。農薬は減らして、有機農業に切り替えていこうと考えていました。安全というと、やはり人間の安全、食べ物の安全だけを考えてきました。でも、結果的に、自分たちの安全を守るということは自然の生きものの安全を守ることにもつながる。海の魚までそんなに影響を与えていたとは今まで知らなかった、ということでかなり目が覚めました。

田植えの前に代かきをします。田植えをする準備のために土と水を混ぜてどろどろにします。その水を川に流す。田植えのときには、水がたっぷりたまっていると田植えをしにくいです。今は機械で植えますから、水は流してしまい、ひたひた水ぐらいにして田植えをしないと田植え機がうまく動きません。それで川の方に水を捨ててしまう。かつてはそうやって田んぼから川に落とされた水の中には、ミジンコ、プランクトンなどの肥料分がたっぷり含まれていたので、川の生きものを育て、川の魚を育て、貝を育て、さらにそれが流れ下って河口の魚を育て、さらに海の魚、海草を育てていました。言葉は悪いが、かつてはむしろ田んぼの水が汚れている方が海は豊かになっていました。

しかし、戦後、農業の近代化が進んで化学肥料が多量に使われるようになり、なおかつ除草剤・殺虫剤・殺菌剤が使われるようになると、田んぼは汚染源になってしまったのです。もちろん、川の水質自体が汚染されてきていますし、さらに負荷をかけるという意味でも田んぼは免罪符を得られません。つまり、有機農業で農薬を使わない百姓であっても、田んぼから水を流すことを非常に躊躇(ちゅうちょ)せざるをえない。そのくらいに時代は変化してしまいました。にもかかわらず、相変わらず伝統的な自然観では、そういうのを突破できません。そのきっかけをつかんだのが実は、ダイオキシンの問題だったのです。

もうひとつは、我々のところは水田面積の1割近くが無農薬、日本でもかなり進んでいる2市2町の地域で、研究会のときに何を今話し合っているかというと、大きな反省の事項です。それは、百姓は今まで自然環境をタダで提供してきたのがまずかったのではないかということです。つまり、国民に対して「自然環境はタダだ」と思わせ続けてきた。「タダではないのだ」という問題提起を一度もしなかったことが農業をジリ貧に追い込んできたのです。

自然環境がこれだけ荒れてきたのに対して、きちんと対抗の運動を形成できないのが根本的な原因ではないか。これだけ高度に資本主義が発達し、何でも金で換算し、何でも金でしか価値を評価できず、何でも金にしてしまう国にあって、自然環境だけが何でタダであり続けているのか。どうしてタダ取りされて、だれも文句を言わないのか。

その原因は、3つあると我々は整理しています。

ひとつは、百姓もタダだと思ってきたことです。百姓は自分の田んぼに勝手に都会の人たちが入って、セリを摘んだり、ツクシを摘んだりしても絶対文句は言いません。「それぐらいいいや」という感じです。現代的な制度では、本来はよその土地のものを取っていきますから、犯罪です。しかし、「自然に関してはタダだ」という習慣が百姓の側にも町の人の側にも依然として残り、それにあぐらをかいている。

それから、国の政策が、特に農業政策があまりにも生産に偏りすぎました。農業の価値は、例えば田んぼなら、そこから生産される米の値段、米の収益で評価します。

 

 

 

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