札幌学院大学の生徒が、標津川という日本一の鮭の川に飛行機できました。札幌から飛行機できて、実習で漁師の人と山づくりに参加したスナップです。
今年10年目になり、当別という札幌から1時間半行ったところに「お魚殖やす植樹運動」の記念の森をつくりました。8.14ha、甲子園の2倍の広さです。私どもの山ですから、北海道から未来永ごう借ります。ここに木を植える、生協の母さん方です。ここには農民の方も一緒におります。
恐るべき、道漁婦連の幹部の皆さんです。10地区の役員で、真ん中で白い襟をちょっと大きく出して、メガネをかけている人が会長の北崎さんです。この人の統率の元にやっていますが、運動を始めてから3代も会長さんはかわりました。この方々が全道の山づくりを引っ張っています。
私ども指導漁連の会長、少し栄養が足りない感じですが、一緒になって記念の森に木を植えました。
今年、東京JAの方が来年木を植えたい、と私どもの事務所に来たときの写真です。「東京に農業はありますか?」と聞きましたら、「ばかこけ」と怒られました。千人で山に木を植えに来るから、母さん方と一緒にしましょうということです。会長さん、副会長さん、東京の女性部の皆さんです。
来年6月、網走市で用意した土地に、農・林・漁が木を植えることがこの度まとまりました。
まことに雑ぽくですが、あとの討議で申し上げることができれば、報告したいと思います。
事例2] 「農が自然をつくる」
宇根 豊 (福岡県農業大学校 講師)
「自然」という言葉は、ふたつの意味があります。
「病気が自然と治った」というときの自然と、「環境」を指す言葉としての自然です。後者の自然環境を指す意味での自然という言葉は明治20年代に新しく作られた日本語で、それ以前そういう言葉はなく、必要がなかったということです。
それほど自然というものは、身の回りに当たり前にあるもので、ことさら言い立てるものではないし、分析の対象でもなかったのです。このようなことが日本人の伝統的な自然観ですが、これにまったくあぐらをかいてきたのがこの国の人たちで、残念ながら百姓も例外ではなかったと思います。その結果、重大な事態に今、直面しています。
3つのことを今から話したいと思います。
ひとつは、僕自身も百姓をしておりますが、百姓は田んぼの中だけを見てきました。特に戦後、農業の近代化が進んで農業が発展するにしたがって、どんどん田んぼの中だけに眼差しが注がれるようになっていきました。
かつてはそうではなく、ケビンさんも指摘するように、山にも川にも海にも注がれていました。いつの間にか田んぼの中だけに注がれるようになっていったのです。
それを突破していくには大きなハードルを越える必要があり、ひとつの動きは有機農業運動、あるいは我々が20年前から提唱している減農薬運動です。