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そういうことも含めて、提携しなければいけません。そして最後に「行政その他にしっかりとこの問題を訴えよう。一般の人たちと手を組んでやろう」ということを6番目に書き、その目標を一心不乱に追求してきた10年間です。それを創世紀の頃からやり、93〜98年の5年間を一応の発展期に位置づけ、質の追求に目的を変えてきております。

広葉樹をある程度どこにでも植えて、そこが風よけになり、針葉樹が終わり、また広葉樹を植えよう、と、今は広葉樹に切り替えるため、もっぱら広葉樹を中心に植えることにしております。それはそれで大きな意味があります。

場所も今まではどこでもいい、組合の前の庭でもいいし、公園でもいいし、ふ化場でもいい、とやっていました。しかし、やはり河川の周囲、あるいはふ化場の周囲など、できるだけ的を絞っていこう、と質的な変化を少しずつ図っています。

そういった中で、この5年間に行政も大きく変わりました。始まって8年目に、北海道が苗木を助成するという措置が取り、北海道の漁協婦人部が植える木であれば全部北海道が面倒をみよう、という話になりました。これはありがたいのか、どうなのか。5年間という話でしたから。「いや、5年間ならば断る」という話をしたら、「いや、まだ続けますよ」といいますが、この不景気の中で「実は…」と、案の定、助成を減らすらしい気配が出ております。そうすると、我々の運動が、「100年かけて100年前の自然の浜を」のスローガンが飛んでしまいます。

行政のありがたい援助があっても、そういうことをしっかり心得てやらなければいけないので、我々は昨年から特別環境募金をして、苗木助成のために自分たちで資金を集めて基金をつくっております。そういう形を含め、行政の援助も出てきたのが、後の5年間です。

魚付き林の整備検討委員会というのが、平成7年から起こりまして、私も3年間その検討委員として「魚付き林とは何か。魚付き林は北海道にどのようにあるのか。どうして明治30年にあった魚付き林が今、ぽやぽやの私のハゲ頭のような状態であるのか」ということを執拗に追求して、あと5年間の間に陸域、特に河川の上流域に指定するということがはっきりと明解に表されました。北海道の行政の中でそれが位置付けられたということです。要するに、魚付き林というのは2万数十ヘクタールが全国にあります。北海道には5千ヘクタールありますが、これはもう100年も指定されていますが、ただ指定したというだけです。歴史的有余曲折はありましたが、ただそれだけとう状況でした。

これをしっかりと見直し、さらには、来年から陸域といわゆる海域の生態系あるいは、その科学的根拠を調べるということで9年間かけて北海道が、行政機関・研究機関をあげてやるということが決まりました。これもすべて母さん方のコツコツ取り組んだ流れであり、さらには一次産業の提携ということで、農・林・漁が25年前に大げんかした酪農地帯、草原地帯の西別川流域に調印をして、森をつくろうと毎年4年前から農・林・漁の父さん方、母さん方でやっています。そういう形も起きてます。そのような流れの中で、我々は引き続きがんばります。

<以下、スライド併用>

だれでもできるという意味でお見せします。柳の木です。私も柳の沼と書いて柳沼というのですが、柳はぶった切れば、どこからでも生えてきます。挿せばいいのです。これを挿して5年も経てば、ちやんと柳の木が身の丈以上に大きくなります。これには虫がたくさん付き、鳥が寄ってきます。葉が河川に落ちれば、分解して、魚の餌になります。 平成2年に植えたものが2mちょっと、私よりも大きくなっているのをお見せしました。

近辺のエビ漁に使う打たせ船です。こういうものが内陸の栄養をこの湾の中に入れるということです。

天野礼子さん、「河川のジャンヌ・ダルク」と自分でおっしゃっている人が「西別川の農・林・漁で一緒にやっているのを見せてちょうだい」と、西別川のルポに来られたときに一緒に写したものです。

平成9年度「お魚殖やす植樹運動」と丁寧に棒くいに立てています。西別川上流域ですが、下の部分が切られて酪農地帯になっています。復元する運動をずっと農・林・漁でしております。

 

 

 

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