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たぶん、今でもアメリカとかヨーロッパには、日本について正確なイメージと情報はあまりないと思います。前よりも少しよくなったけど、今でもそんなにないと思います。

みんな笑ってしまうと思いますが、そのころのアメリカ人は、このような話を本気で信じ、本気で話していました。それは25〜26年前の頃、東京に行くと、大気汚染があまりにもひどくて人間は息ができなくなり、そのために酸素の自動販売機が置いてある。そこにコインを入れると上からマスクが降りてくる。そのマスクを手にとって酸素をいっぱい吸って、100メートル走ればまた同じような機械がある。それを繰り返しながら町の中を進むのです。

ですから、日本に来る前の僕の日本についてのイメージは、そういうほとんど自然のない、いろいろな物を作っているイメージしかなかったのです。子供の頃からずっと抱き続けてきた探検家の夢は、決して日本で実現しようと思ってはいなかったのです。

僕はアメリカ陸軍に所属し、神奈川県の座間基地に1年半ぐらいおりました。そして、ずっと最初から最後まで一番位の低い兵隊でした。入ったときには二等兵、出ていくときにも二等兵だったのです。でも、その頃のアメリカの二等兵の月給は、四百数十ドルだったのです。その頃1ドルは360円ぐらいでした。そして、兵隊だから宿代とか食費とかは一切いらないのです。もらっている月給が全部ポケットマネーです。そして、僕の月給を日本円になおすと15〜16万です。今だったら、15〜16万は中学生のおこづかいにすぎませんが、25〜26年前は大金だったのです。僕は、その頃は大金持ちでした。その後は、ずっとずっと下り坂に入りますが、一時的には大金持ちを味わっていて、すごくうれしかったです。

自由時間も案外多かったです。僕は、自由時間とポケットマネーを利用して、オートバイを買って、日本全国にキャンプソーリングに出掛けました。オートバイのうしろに寝袋やテントを乗せて、それで一日走って適当な場所まで行き、暗くなれば近くの農家に、「あそこの畑のそばにテントを張らせてください」と断ってテントを張り、翌日また、走りました。そういうことをしながら、ほとんど日本全国を回りました。

日本全国を回っている内に僕はすごく驚きました。それは、日本には想像できなかったほどの豊かな自然があったからです。よく「日本は小さい国」と言われますが、南北に長く、高い山もあります。日本の自然は、南に行けば亜熱帯、熱帯に近い照葉樹林やマングローブ、白い砂浜やサンゴ礁があります。逆に北海道の道東とか道北に行くと、冬は海辺が凍ってしまうのです。その間にブナ林、温暖帯が広がっています。そして、海辺からずっと山を登って行っても自然がだんだん変わっていきます。ですから、日本は国土の面積が狭いのに非常に自然が多様的です。たぶん、日本ほど面積の狭い国で日本ほど自然が多様的である国は、どこにもないと思います。ですから、日本の自然はほんとうにすごいものだなと思います。

自然の豊かさとか多様さ、それだけではなく、もうひとつの大きな驚きがありました。これは、日本の各地に自然の中で現役で暮らしている人々もたくさんいたということです。これは今でもそうです。アメリカに帰って、僕は日本の自然とか日本の農業のやり方などを研究していると友達に説明すると、みんなは理解できません。なぜかというと、今でもアメリカ人の頭の中にある日本のイメージは、東はソニー、西はトヨタ、その間に任天堂があるのです。やはり日本の国際イメージをつくるのは、そういう製造部門です。ですから、日本では南から北まで小さな集落・里で、今でも農業とか林業とか漁業で生きていると説明すると、みんなはびっくりします。

そして、日本にはすばらしい自然があり、昔から自然の中で暮らす人々の文化とか歴史とか、その暮らしぶりもあります。それは僕にとってすごくおもしろいのです。僕はこの日本の自然とその自然の中で暮らす人々の姿に心を打たれて、もう25〜26年ずっと日本の研究を続けてきました。これからも同じように研究を続けたいと思います。

 

 

 

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