それから、水をためて、米をつくりたい田んぼの4割を減反する、その4割の水田に10cmずつ水をためたら、集中豪雨の調節も何時間かはもつことができると思います。
それから、武庫川上流の開発に、三田ニュータウンがあります。三田市は日本で一番人口のふえるまちということで有名なのですが、200町歩に近い山の皮をむいて、一挙に保水力をなくしたのです。しかも、降った雨が幾何学的に直線コースで武庫川へ飛び込んでいく。やはり大規模開発をしたら、開発をした責任において、降った水は一度はここでためるという調節池の設置を義務づけることが大事だと思います。しかし、開発優先の事情の中で、せっかくあった調整池をみんなで埋めてしまって、宅地にしてしまい、開発の帳尻合わせはダムで解決しようということになってしまったのです。
農民が米をつくりたいという願望は、ただ食べていくための米づくりではなくて、治水のためにも、また、世界の人たちの飢えを救うためにも、米をつくらせてくれといいたいのです。そういう状況の中で、私たちはダムに代わる「総合治水」ということを提案してきたのです。
そしてもうひとつ、いまだに中国では水がひかないという異常降雨の問題があります。だから、ダムと造ってこと足れりとするのではなく、市街地の直近に宝塚から歩いて、それこそ1時間のところ、2キロの距離に武庫川本流をせき止めるという・・・。それは下流域の人命尊重という、抵抗しがたい名分をもって強行しようとしていますが、あまりにも自然を恐れぬ暴挙であり、科学の力で自然を征服しようとする人間のおごりであるように思います。
もちろん、武庫川は暴れ川です。そして、天井川です。昭和58年には、武庫川の堤防すれすれまで来たという恐ろしい経験もあります。けれども、「うちの2階まで水が来た。畳がみんな腐ったんやで」という人たちが、ダムができることの方が恐いのだと、ダムでない方法もあるだろうということを言っています。
そしてまた、武庫川という山水の絵にも通じるような幽玄な渓谷に、巨大なダムをつくるというその違和感、これこそ日本人の文化そのものを否定するのものではないかと思うのです。こうした中で今、何が何でもダムをつくるという、走り出したら止まらない公共事業の通有性なのでしょうか、行政と話をしていてそんな思いになります。
私たちは今、5万人のダム建設反対の署名をいただきました。ダムを止めるというのだけではなく、私たちが提案した代替案を一度考えてみてほしいという話もまともに受け付けてもらえない状況の中にいます。
武庫川の武田尾渓谷は、阪神間の奥座敷です。貴重な天然の財産です。私たちの心のふるさとのようなところなのです。私たちはこの豊かな自然を次の世代に申し送る義務を感じ、粘り強く続けているところです。
【鷲尾】ダムのことですが、ダムは水をためるだけではないのです。先程は魚を通せんぼするという話もありましたが、あれは土砂をためるのです。
陸の砂といったら、砂丘や砂漠で役に立たないもののように思われているかもしれませんが、海の中の砂は非常に大切です。広島県ですったもんだがありましたが、瀬戸内海の魚たちは砂のあるおかげで増えてきているのです。ですから、砂にすみつくもの、砂の浄化力、そういったものが働いて瀬戸内海が成り立つわけですから、砂をとめないでくれということを、今あるダムにも言いたいのです。ダムの側でもあれは邪魔ものだと思うのです。
ですから、そういう意味で全部通せんぼするのではなくて、先程提案のあった各段階で細切れというか、小さな単位で使っていくということで言えば、大土木事業にはなりませんが、非常になじみやすいものになるし、砂も出ていきやすいものになるのではないかという気がします。