水の中の魚は逃げるのは速い。子どもがどのくらい追いかけても追いつきません。「雑魚とりというのはな、川下に網を掛けておいて、竿の先にボロきれでそっと追ったら、雑魚はすっと入るんや。ボクらみたいに網を振り回して走って、雑魚の後ろ姿を追いかけてとれるもんか」というように、親から子へ、子から孫へ対話しながら教え伝えることの大切さを実感いたしました。
日本が経済成長一辺倒で走り続けてきた反省期に立って、営々と先祖から伝えられてきた生きる知恵と申しましょうか、伝承技術を大切にしたいと思います。そのような願いをこめて、私たちの手に合う発言と、手に合うことをしなければならないときではないかと思います。
とても長くなりました。ごめんなさい。(拍手)
【片寄】よかったですね。ちょっと感激してね。
次、行きましょうか。
【田中】酒井さんの実践に支えられた人生哲学といいますか、農業哲学といいますか、人間の生き方のうんちくを聞いて、もう締めが終わってしまったみたいで非常に話しにくいのですが…(笑)。
この質問は片寄さんが筆頭になっています。
「東京や熊本では雨水の地下浸透、透水性舗装、雨水浸透枡などを行い、地下水涵養、河川への急激な流水の抑制、その他を目指して努力しているが、なぜ近畿圏では行われないのか?」
最後は先生に締めくくっていただくことにいたしまして、この問題というのは、おそらく河川の水量、魚あるいは水生動物のすむ水量に非常に関係しています。流域の都市開発が進む。あるいは今、酒井さんがおっしゃいました山の中でヒノキやスギの針葉樹林に替えますと、降った水が地下水として涵養されずに、一気に流れ出すわけです。
集中豪雨があると、雨が降るそのピークから数時間後に出水のピークが訪れます。流域が開発されますと、出水のピークが早くなりますし、そのときのピークの高さが非常に高くなるのです。ピークが高くなることを予想して、そのときの洪水の流量を何とか流すために、先程の武庫川のダムやいろいろな河川の改修が行われています。そういうイタチごっこの工事が行われているわけです。
要するに、一気水が流れないような山に、あるいは水を使い捨てする現在の農業をもう一度考え直さなければいけないと思います。しかし、最終的には、藤井さんがライン川で非常に感激したとおっしゃいましたが、河川敷からある程度のバッファの部分は水に浸かってもいいという暮らし方をすることです。
日本でも昔は川と農業地、あるいは畑を強固な堤防で確然と仕切るというやり方は、そういう大それたことはやらなかった、あるいはできなかったのです。ある程度の出水になったら、かすみ堤の間に浸水して、ここの田んぼくらいは浸かってもいいだろう。あるいは、もう少しひどい洪水になったら、この辺の畑まではいいだろうと、洪水によって浸かることを前提にした生活様式、まちづくり、むらのつくり方というものがあったと思うのです。
現在、流域の開発が進んだり、農地、裸地などが増えて、流域の土地利用のしかたが変わりまして、とにかく一気水が出てくるようになった。その流域の構造を変えることと同時に、浸かってもいいという暮らし方を目指さないと、今のような三面張りの構造というのは、計算上しかたのないところに達していると私は思っています。