ちょうど20年前のころでしょうか、昭和50年に有吉佐和子の『複合汚染』という本が出ました。新聞小説になったのですが、冒頭に青島幸男が出てきたり、市川房枝が出てきたり、「こんなものが小説かな」と思って読んだ覚えがあります。
日向に並べて置いておいてもイチゴが腐らない。米を積んでおいてもコクゾウがつかない。世の中なんと便利になったなといって喜んでいいものか、という問いかけがありました。そのころから変な病気が出てきかけたと思います。
そういう状況の中で、背中にアトピーの子をおぶった若いお母さんに出会いました。「おじさんのつくったホウレンソウを送ってよ」という話だったのです。また、「こんな健康によくない話を聞きながら、あなたはなぜそんなに薬をふるのか」という話も出ました。私はやっぱり生活を守るために、「私たちもふりたくてふるのと違う。千粒ある米の中で、1粒でも変質米があったら1等級下がるねんで。その前に、やっぱり否でも薬をふらなければ仕方がない」と。そういう米の流れの中に私たちがいるという話をしたら、だったら私たちが支えようではないかということになって、有機農業が育ってきたのです。
行政の悪口を言うつもりはないのですが、食べ物を規制とか認証をし、はんこを押して「このほうれん草はこの枠に入っているから大丈夫だ」などということは決められるものではないと思うし、農業の現場はそんなに生やさしいものと違うのです。やっぱり食べ物は、食べる人によって農業が育つのです。
「そのようなことをして食べていけるのか?」とのご指摘ですが、私はそういう消費者に出会えるかぎり、私の生活はぜいたくをしなければ一生食べていけるだろうと思っています。同時に、死に際が大事だとよくいいます。長寿国になっても、ちゃんとしたものを食べて、それでコロッと逝きたいではないか、と思う人が何人かいてくれるかぎり、私の農業は生きていけると自信を持っています。ライオンの行き倒れはあったりしますが、ハツカネズミに行き倒れはないという話があって、私も生きられるだろうと思っています。食べ物をつくる仕事はそういうものだと思うのです。
だから、県の認証マークが入ったホウレンソウが出回ったり、認証マークのエンジンが出たりしますが、1人の農家が大面積にニンジンを作ってみたり、大面積にホウレンソウを作ってみたりして、まともにいくはずがない。百姓の365日はまちの台所と直結して、少量多品目で流れていって、「おじさんの顔、なんか元気がないな」「おお、大丈夫やで」と言える関係の中でこそ、食べ物が流れるべきだと思います。
だから今、まちには有機風のミカンからカキ、リンゴ、すべて有機マークです。どこで有機の判定を下すのか、「健康のためにリンゴの皮を厚くむきましょう」などとバカなことを言う国です。また、日本の神戸の港へ入ってくる船、アメリカの草、アメリカの小麦、それが赤道を越えて日本に入ってくる。ただで越えてきてはいない。何かの処置をしないと、暑いサイロの中で、日本に入ってくるはずがない。そういうもので、私たちの台所がおそらく海の外から入ってきたもので、まかなわれているという悲しい現実は、私たち全体がもういい加減に自覚しなければいけないのではないかと思います。
それから、今もダイオキシンの話が出ました。それぞれの家庭から出る塩化ビニールをどうしようかと、私たちのまちでもゴミ焼却炉の耐用年数が来たから、もう建て替えなければならないと言っています。「この焼却炉は温度が最高になったときにサンプルをとるのだ」と言われてやっているそうです。温度が最高に上がったときにサンプルを取るという指導をなぜするのか。上がる前に、黒い煙が出ているときになぜそれを取らないのかと思うのですが、やはりそういう行政指導の中でゴミ問題は解決を先送りしています。
今のゴミ焼却炉は大型で、連続して投げ入れていかないといけない。一度火を切ってまた火をつけると、温度が上がるときに危ないからということで、大型化しようとする。大型化して、どこの山の谷に埋めるのかと思いますが。やはりそういうダイオキシンの問題にしても、私は農業の現場から訴えたいと思います。皆さんと一緒に考えたいと思うのは、それぞれの家庭から出るプラスチックやトレー、発砲スチロールなどに目くじら立てて選り分けることも大事だとは思いますが、農業の現場から出る塩化ビニールの類はその比ではない。四国へ行っても九州へ行っても立ち並ぶビニールハウス、あれはどうなるのだろうと思います。