日本財団 図書館


私自身は1971年に神奈川県の藤沢から滋賀県に越してきて、それ以来ずっと滋賀県に住んでいるのですが、その間だけでも随分琵琶湖は変わったなと思います。71年というのは、その頃でしたらたぶん皆様も5〜6月ぐらいに水道の蛇口をひねって水が臭いという、その前の段階だったと思います。私が来た翌年、1972年に琵琶湖総合開発が始まりました。そして、去年の3月31日にその総合開発、25年にわたる総合開発が終わったわけです。

総合開発で目指した琵琶湖の治水と利水と保全、その3本柱のうちの治水・利水については及第点としても、環境の保全というところで大きな財産を失ってしまったのではないか、というのが私たちそこに住んでいる者の実感です。72年以降、随分と湖の様子が変わってきて、77年にあの淡水赤潮の大発生を見ます。その頃から下流の方たちから水道の水が臭いというお話が聞こえてくるようになりました。

先程の鷲尾さんのお話を聞いていると、「栄養塩類が多いのは別に悪いことではなくて、窒素、リンというのは循環系に乗るので、その循環系さえうまくやっていけば、環境ホルモンとかいうものとは全然質的に違って、これはいいのだ」と言われると、「もっと流してもいいのかな」という気もしますが、そういうわけにもいきません。窒素、リンについても削減する方法を考えて動いているわけです。

つい最近、私はドイツで非常に貴重な体験をしました。河口から琵琶湖を見たり、琵琶湖に注ぐ随分の数の川(大小460本)を見て歩いていく中で、今回のドイツの経験は非常に大きなことになりました。というのは、ドイツ・フランスは今年の秋、非常に雨が多くて、私が行った10月後半は各地域で洪水が起きました。特に10月25日ぐらいは大変な洪水で、本当はライン川をずっと船で下っていこうと思ったのですが、ラインの船も全部ストップしてしまいましたので、鉄道で行きました。

そうしたら、鉄道の本当に際まであの巨大なラインがふくれ上がっていて、百年に一度あるかないかという洪水の場面に出くわしたわけです。ラインに至るそれぞれの川が見事に盛り上がっていました。そこで人がなんでこんなにあわてふためいていないのだろうかというと、ドイツにいらした方はよくご存じのように、川があって、川の両側に遊歩道があって、そして川辺林があって、家というのはそこから随分離れているわけです。ですから、川が水が増えてふくらんだときには、そこを吸収する面がある。そして、川の水が引いていくと、また遊歩道があらわれてきて、そして川辺林もそのまま元に戻るということがあるのです。

かつて琵琶湖で言えば、その湖岸堤ができる前には、「琵琶湖はいつもふくらんだり縮んだりしていたよ」という話を聞いていました。琵琶湖が増水すると、周辺の川を経て田んぼに入っていって、田んぼの中で琵琶湖から来たフナやコイをつかんでいたという話はずっと聞いていたのですが、「ああ、川がふくらんで、そしてまた縮むというのはこういうことなのだなと思いました。では、琵琶湖でそれが再現可能かというと、これはもう決定的に無理です。全部が三面コンクリート張りになっている。

琵琶湖総合開発25年後の今、世界でもまれな1400万人の飲料水源である琵琶湖をどうするか、という21世紀に向けてのプログラムに私たちはどう関わるか。住民は住民なりの運動を組まなければならないという非常に大きな宿題を抱えています。何もせずにきたわけではないのですが、どうも住民の運動が追いつかないほど、琵琶湖の複雑な汚染の様相が見えてきたというのが実態です。

先程の片寄先生のOHP(p.138 図2.5.1)の中にも「環境ホルモン」という言葉が出ていましたが、私たちが初めの頃、琵琶湖に向かったとき、そのメカニズムは非常にわかりやすかった。つまり、富栄養化の問題の赤潮、アオコで言えば、「その窒素、リンをどうするか」という問題で当初動いてきました。皆さまもよくご存じの琵琶湖のせっけん運動も、リンの入った合成洗剤をメーカーに作らせないという、そこまでのストップの運動になったわけですが、リンを外すという非常にわかりやすい運動でした。

水道水の中にトリハロメタンが非常に大きな数値で出てきたときも、急速濾過の浄水のありよう、塩素消毒を変えていくことでトリハロメタンを下げるかという、それもわかりやすいメカニズムです。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION