そういう面では今の子どもたち、あるいは我々大人の世代も含めてですが、あまりにも海と疎遠になってはしないか。海と自分たちの距離を縮めていく方策をまず最初に取り組むべきではないかと思います。これはこの間の中国新聞の方で実際に事業展開としてしたのですが、南西海区の水産研究所の赤潮を研究している方を招きまして、子どもたちにいろいろ話をしてもらって、「プランクトンはこのようにしてできるのだよ、その中で赤潮はこのようにしてできるのだよ」ということを現地も見ながら子どもたちに教える場を提供したということがありました。いろいろな側面、角度から海とのつきあいを復活させる手だてを模索していくべきだと思います。
【山城】私は今回1年間瀬戸内海をいろいろ回りまして、非常に印象深かったのは昔、瀬戸内海には鯨が来ていたという話がありまして、コククジラという鯨が江戸時代までは冬場は瀬戸内海に入り込んで浅瀬で子どもを産んで、そこで育てて暖かくなったらまた北極の方に戻っていく、という回遊をしていた海だということを知りまして、非常に感動を受けました。
それと同時にそういう鯨が江戸時代あるいは明治時代の中期ぐらいまで、時々岸辺に打ち寄せられてくるのです。打ち寄せられてきた鯨を捕まえて、余すところなく解体して使うわけです。必ず鯨塚が立っているわけです。私が行きましたら、大分県の臼杵市のある浦では100年以上前に港に鯨が飛び込んできて、その鯨のおかげで港が修復できた。いまだに年に1回の法要を欠かさない。お年寄りの皆さんに話を聞きますと、鯨様、鯨様とまだあがめている。そういうつきあい方はすごいなと思います。西洋の神のあり方と違う、自然の中に神を見るという自然に対する謙虚なつきあい方があったのだなと思いました。
翻って今を見ると、私は一杯飯屋が好きで、よく一杯飯屋でサバを焼いたものをよく食べるのですが、ほとんどたぶん最近は北海か、外国でとれてきたサバだろうと思います。データを紹介しますと、外国からの輸入の水産物は、1986年から1996年までの10年間に186tから345tと1.6倍に増えているのです。逆に養殖以外で国内でとる漁業での水産物は、1986年が1134万tが10年後の96年には597万tと4割ぐらい減っているのです。地球の裏側でとれた食材が、2日間で今食卓にのぼるという昔から考えればSF的な構造の中に我々は生きているわけです。その中で、自然と自分たちのつきあいをどうとらえ直すかということは、やはり実体験でしかないのではないかと思うのです。
そういう面では今の子どもたち、あるいは我々大人の世代も含めてですが、あまりにも海と疎遠になってはいないか。海と自分たちの距離を縮めていく方策をまず最初に取り組むべきではないかと思います。これはこの間の中国新聞の方で実際に事業展開としてしたのですが、南西海区の水産研究所の赤潮を研究している方を招きまして、子どもたちにいろいろ話をしてもらって、「プランクトンはこのようにしてできるのだよ、その中で赤潮はこのようにしてできるのだよ」ということを現地も見ながら子どもたちに教える場を提供したということがありました。いろいろな側面、角度から海とのつきあいを復活させる手だてを模索していくべきだと思います。
【大谷】それではせっかく今まで話してきましたので、会場の方とも話して少し深めたいと思います。
【会場1]】今日は行政に対する話ばかりで、私生活というか、そちらの方が全く出なかったので少し寂しいな、と思ったのです。講師の皆様にお尋ねします。イエスノーだけでいいです。私生活でせっけんシャンプーをお使いになっていらっしゃいますか。
【阿部】使っています。もう20年。
【葭川】使っていません。
【柳玉】せっけん使っています。
【山城】僕は半年ぐらい前から固形せっけんで髪を洗うようになりました。