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【葭川】不況で帰ってきたというのがほとんどです。先の見通しとは結構今、広島は暗いですからね。

漁師さんのことを話してもいいですか。カキ屋が広島市周辺にすごく多くて、漁師さんは少ないのです。島の方へ行ったらわりと漁師さんは多いのですが、広島市内から沿岸部をずっと西、東と両方にカキ屋があるのですが、漁師とまともに呼べるような漁師さんはほとんどいないのです。

広島市では今でもまだ埋め立てが進んでいますし、橋ができるといえばすぐ埋め立てです。とにかく漁をしない人がその話を決めてくる。結局漁をする人間はその話し合いに呼んでもらえない。簡単な図式なのです。だから許可はどんどん下りて進んでいく。大方決まったあとに説明会でみんなに言っていく。

カキ屋さんも漁師さんも悪いところはあるのです。補助金をもらって、あとはどうなっても知らないよという、結構そういう無責任な決め方がありまして、今は大変なことになっています。今、息子が働くところがなくなって帰ってきてカキを始めて、今になって慌てて「なぜあのときこういうことを承諾したのだ」という動きがやっと出てきた。

 

【大谷】若い目で見れば、矛盾に対してストレートにものを言うことができるでしょうから、若干変わっていくかもしれないという期待感はありますね。

 

【葭川】そのようにしたいですね。

 

【柳】やはり、きちんと働く人がいなくなったら、海はすぐ死ぬのです。勝手に陸の論理で海を使ってしまう。瀬戸内海をいかにいい漁場にしていくか。もちろん養殖もすれば栽培漁業もする。ゾーニングだけではうまくいかないと思いますが、そういう場で若い人がきちんと自分の子ども、孫と一緒に漁をして、永続的に漁ができる場として確保したい。そのためには漁師だけでは無理なので、水そのものは山から流れてきますから、全体の流域3千万の人が瀬戸内海をどう考えるかということを、私もそのひとりとして何ができるかということを考える。

これも使い古されていますが、“Think globally, act locally”ということで、阿部さんほど派手にやらなくてもいいと思いますが、みんなひとりひとりが自分のできることをしていかないと、状況は前に進まない。行政が何かしてくれるわけでは絶対ないので、何かすれば行政が対応せざるをえないという形になると思いますから、私もしますけれど、ぜひしていただきたいと思います。

 

【山城】私は今回1年間瀬戸内海をいろいろ回りまして、非常に印象深かったのは昔、瀬戸内海には鯨が来ていたという話がありまして、ココ鯨という鯨が江戸時代までは冬場は瀬戸内海に入り込んで浅瀬で産卵ではないのですが子どもを産んで、そこで育てて暖かくなったらまた北極の方に戻っていくという回遊をしていた海だということを知りまして、非常に感動を受けました。

それと同時にそういう鯨が江戸時代あるいは明治時代の中期ぐらいまで、時々岸辺に打ち寄せられてくるのです。打ち寄せられてきた鯨を捕まえて、余すところなく解体して使うわけです。必ず鯨塚が立っているわけです。私が行きましたら、大分県の臼杵市のある浦では100年以上前に港に鯨が飛び込んできて、その鯨のおかげで港が修復できた。いまだに年に1回の法要をかかせていない。お年寄りの皆さんに話を聞きますと、鯨様、鯨様とまだあがめている。そういうつきあい方はすごいなと思います。西洋の神のあり方と違う、自然の中に神を見るという自然に対する謙虚なつきあい方があったのだなと思いました。

翻って今を見ると、私は一杯飯屋が好きで、よく一杯飯屋でサバを焼いたものをよく食べるのですが、ほとんどたぶん最近は北海か、外国で取れてきたサバだろうと思います。データを紹介しますと、外国からの輸入の水産物は、1986年から1996年までの10年間に186tから345tと1.6倍に増えているのです。逆に養殖以外で国内で取る漁業での水産物は、1986年が1134万tが10年後の96年には597万tと4割ぐらい減っているのです。地球の裏側で取れた食材が、2日間で今食卓にのぼるという昔から考えればSF的な構造の中に我々は生きているわけです。その中で、自然と自分たちのつきあいをどうとらえ直すかということは、やはり実体験でしかないのではないかと思うのです。

 

 

 

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