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ただ、人間にとっては鎮守の森は生産とは結びつきません。木を切ってはいけないので、鎮守の森では飯は食えない。本当の常緑広葉樹林というのは、足摺岬のツバキの群生地を見るとわかると思いますが、上が厚い葉でおおわれて、下には全く光が通りませんから、生物は非常に少ない。

最後に、生物が最も多くて人間にとっても使える、金になる山、森というのは里山だと思います。里山では常緑広葉樹にかわって落葉広葉樹、クヌギとかナラを植えるわけです。クヌギは20年とか30年で必ず伐採されるわけです。それで炭を焼くし、薪にもするし、シイタケを植え込んでいます。クヌギはドングリができますから、それを食べに小動物がやってくる。タヌギの樹液を求めてカブトムシがやってくる。冬には下に植物が生えて、花も咲いてチョウチョウも昆虫も来るわけです。それに伴って関連する生物が蝟集するわけです。

日本の里山のシステムは非常に良いシステムで、人間の暮らしと、自然の生物が共存可能な、持続可能な場として機能してきたと思います。しかし、現在は里山がきちんと維持されなくなってきている。木も切らず草も刈らないから荒れてきた。京都大学の田端さんが里山も、付近の田んぼも含めて全体の生態系を保全するような仕組みを考えないと、日本にとってマイナスであると言われています。江戸時代から昭和の初めの頃まで続いていたころの日本の里山のあり方は、人と自然のつきあい方の非常に好ましい例のひとつだと思います。

このような人と山とのつきあい方を参考に、人と海とのつきあい方を考えていくとどうなるかというと、以下のようです。

海で針葉樹林に相当するのは養殖業です。愛媛県の宇和海のハマチにしても、囲われた海域のもとで最も生産力は高くなるのですが、ハマチ以外のものはそこに住めない。しかし、密植のこともありますし、ひどいのは自家汚染です。自家汚染の問題を解決しないと、今のままでは養殖業は持続不可能です。水産庁も養殖漁業のガイドラインとなる法律を作って規制しようとしています。今までは自主規制ということで漁民に任せていたのです。それではだめということで、法制化して、違反者は養殖免許を取り上げるということにしようとしています。今から養殖業も少し変わって持続可能性も出てくると思います。もちろん養殖漁業がなくなることはありえないと思います。漁民の生活ができなくなりますから。今のようなあり方ではいけないけれども、かたちを変えて養殖漁業をきちんとやってほしいということです。針葉樹林があまり増えすぎても困るけれども、針葉樹林がなくなると山の人たちの生活は成り立たない。同じような意味で、養殖漁業もある程度なければ困るということです。

鎮守の森は海ではっきりこれに相当するものはありません。似たものとしては、産卵期間に、ある魚種の禁漁をする。あるいは、この区域では一切海藻を取ってはいけないとか、禁漁期、禁漁海域指定が鎮守の森に相当すると思います。

里山としてのあり方は何かというと、栽培漁業だと思います。今の栽培漁業は種苗生産にメインな力が注がれています。本来の自然生態系、瀬戸内海の海藻とか魚とか、生態系に調和した栽培漁業はまだ行われていません。今からそれをやらなければいけない。つまり種苗をふ化させて、稚魚にどのような餌をどのくらいの割合で与えれば、最も安全で生育が早いかということばかり気にしている今の栽培漁業のあり方を変えていかなければならない。

1992年のマダイ、ヒラメ、クルマエビ、ガザミの瀬戸内海の各灘での放流実績によると、例えばマダイの場合には備後灘、芸予諸島が一番大きくて160万匹です。ガザミの場合には316万匹と、これだけの量が放流されているのです。しかし、放流したマダイの稚魚が、どの魚にどのくらい食べられて、どこに動いていって、漁獲にどのようにつながっているかは、全くわからない。それを解明するのは非常に難しい。実際に瀬戸内海全体の1984年〜1992年までのマダイの放流量を見ると、稚魚が死んだりしたら減るので、各年の量に変化はあります。しかし、大体コンスタントですが、放流量の増えた時期に対応して、漁獲量が増えているわけではないし、数年後に漁獲量が増えてもいません。クルマエビもガザミもそうです。クルマエビは、放流量は近年圧倒的に増えていますが、漁獲量は横ばいです。

 

 

 

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