生産者がいない自然というのは「中庭」にもならない。例えば陸上の休耕田や減反で使わなくなった田んぼを見てわかりますように、今ではセイタカアワダチ草が枯れて立っているという風景と、初夏に青い苗が輝いて、秋には全部刈られて株だけ残っているという風景とを比べたら、どちらが美しいと思うかははっきりしているわけです。我々が見て観賞に堪える風景というのは、やはり基本的に人間の手がきちんと入って、人間と自然とのかかわりあいがうまくいっている場が、「中庭」になりえるのだと思います。
瀬戸内海の一番汚染のひどい時期に、一番大きな制御をかけたのは、反対運動とかの先頭に立ったのはやはり漁民なのです。それは、漁民はそこで生産活動を行っているからです。私はもしそういう漁民がいなかったら瀬戸内海の汚れはもっとひどくなっていて、瀬戸内海環境保全臨時措置法はできなかったと思います。そういう意味でも、まずベースとして、瀬戸内海の「畑」としての役割を今後我々がいかにきちんと守っていくか。それを行えば当然、「中庭」としての機能も果たすし、もちろん「道」としての機能も果たせるのです。
瀬戸内海が「畑」としてどのくらい優秀かを2年くらい前にまとめた非常におもしろい研究結果があります。瀬戸内海は最初に言いましたように半閉鎖海域、つまり水の交換が非常に悪いところですが、同じような海が世界にはたくさんあるのです。まず米のチェサピーク湾があります。ここはワシントンのポトマック川が流れ込んでいて、ボルチモアがあるところです。スケールは大体瀬戸内海と同じくらいですが、カキやblue crab(ワタリガニ)がたくさん取れることで有名なところです。さらに、北欧3国に囲まれたバルト海、英とオランダ・ドイツに挟まれた北海、そしてご承知の地中海、こういうところは全部半閉鎖海域なのです。このような海で、1年間当たり、単位面積当たりどのくらい漁獲量があるかということを愛媛大学の武岡さんがが全部データを集めてきました。もちろん集めた年代や統計をとった期間も違うので、数字の比較は厳密には行えないのですが、大まかな傾向はつかめると思います。
その研究結果によると、地中海は0.8t/km2/年、バルト海は2.2、北海は5.7、チェサピークは6.5、そして瀬戸内海はなんと20.6なのです。大体バルト海の20倍くらい、地中海の25倍にも達する漁獲量なのです。チェサピークと比較しても3倍くらいです。このような違いがあるわけです。なぜ瀬戸内海だけこんなに漁獲高が高いということは物理的に説明可能です。地中海の漁獲量がなぜこんなに低いかという理由は次のとおりです。地中海というのは非常に強い風が吹くし、乾燥している海です。降水量よりも蒸発量の方が多い。そうすると、海の表面の水は、どんどん淡水だけ蒸発して塩辛くなり、重くなるのです。地中海というのは水深が大体3000mくらいと深いのですが、海面付近の海水は潜り込んで、西の端にあるジブラルタル海峡、ここは水深200mくらいですが、ここから出ていくのです。そしてかわりに表面から大西洋の貧栄養(外洋の水だから栄養塩濃度が低い)、の海水が入ってきます。したがって陸から(フランス、イタリアなどいろいろなところに人間は暮らしている)、汚れたものが出てくるのですが、それがほとんど表面でプランクトンの生産に使われることなく沈んでしまいます。海の底の方は光が当たりませんから、そこにいくら栄養塩があってもプランクトンは増えないのです。そのまま地中海へ出てしまう。したがって漁獲生産が低い。
次にバルト海ですが、ここは逆に淡水供給量が多いのです。蒸発量は少ない。軽い海水が表面を流れて、カテガット海峡という、デンマークとスウェーデンの間の海峡で、やはり100mくらいと浅いところですが、表面を抜けて北海に流出します。その代わりに浅い海峡を越えて、時々北海から塩辛い水が入ってくるのです。ところが、バルト海の底の水はほとんど交換しないので、海水が動かないのです。海面から落ちてきた有機物が海底付近で分解されて、底層の酸素がなくなるのです。なくなった酸素を含む底層水が上の表層水と交換されないのです。
日本近海の沿岸海域の場合には冬になると水が表面の海水が重くなって、海水が全部鉛直混合しますから、夏の間は底層に貧酸水塊ができますが、冬にいったん全部解消されます。バルト海の場合は、下に重い水があって、上にそれ以上の重い水ができないわけだから、鉛直混合することがない。底層水は貧酸素なので、魚の生産はここでは出来ない。魚が生活出来る層が表面付近の非常に薄い層に限られるので、地中海よりは漁業生産は高いけれども、それほど高くはない。