どのような話を聞いても自分の生活とつながっていることをイメージしがたい時代になってきました。他人の困っていること、このように言ったら傷つくだろうな、大変だろうなとか、いろいろイメージすることが難しい時代になってきていると思います。毎日食べているもの、毎日使っている水というところから感じてほしいなと思っています。
例えば、今朝歯みがきをするときに、あなたはどのくらい歯磨き粉を絞ったかが、実は畠山さんのカキがおいしいかおいしくないかというところにつながっているかもしれない、というレベルのこと。
台所で豚肉の脂身たっぷりのうどんのつゆがあったとします。「これをこのまま流したら、一体どうなるの?」というイマジネーション。全部植木鉢の上に染み込ませて、ガーデニングに役に立てる。油やドレッシング、ソースなどが食べたあとに必ずお皿に残りますが、ティッシュを箱の中にとっておいて、徹底的に拭って拭って、それからようやく洗う。最近お母さんたちが手づくりしているアクリルたわし(アクリル毛糸で作ったたわし)は、意外と洗剤を使わなくても汚れが落ちる。
どうしても石けんが必要なら自然分解しやすいものを選ぶ。生協、スーパー、自然食レストラン、自然食品のお店、気の利いた酒屋さんとかタバコ屋さんとか最近置いている店も多くなってきました。
それから、明らかに環境にとって問題だろうという商品がテレビでバンバンCMされていることに対しても、私は非常に問題意識を持っています。お化粧落としもそのまま洗い流せるのがよくあります。非常に便利かもしれないけれど、手間がかかってもクレンジングクリームでまず拭って、そのあと顔を水で洗うと水は汚れないでしょう。
そういう暮らしレベルのことは、どんな立場の人にも関係があると思うのです。台所の母ちゃんがやればいいだろうという問題ではなくて、忙しい母ちゃんを支えるのが父ちゃんだったりする。どんな立場のどんな人にとっても実は関係のあるテーマであると伝えていかなくてはいけないと感じております。
【米山】食と水、それに台所、暮らしにかかわるいろいろなところでの環境問題との関わりをお話しいただきました。
では、先程基調講演はいただいたのですが、たぶん3人のお話を聞きながら、言い残したようなことがあるのではないかと思います。
まず畠山さん、いかがですか。
【畠山】「環境」はあまりにも複雑で大きすぎますから、捉えどころがなくなってくるようです。しかし、やはり環境は部分的に考えることではなくて、すべてトータルで考えなければいけない。いろいろな専門の人が全部関わらなければいけない。総合力が必要だとあらためて思うのです。
「森は海の恋人」というテーマを掲げていますが、諸々のことをちゃんとわかりやすく伝える言葉も必要だと思います。私たちは「森は海の恋人」というテーマを与えられましたが、この言葉を作った人は大川の上流にいる歌人なのです。万葉集とかをひもといてみますと、自然を歌った歌がありますが、そういう中からも学ぶべきものがあると思います。
絵描きも必要ですし、小関さんみたいに農業をやっている人も必要ですし、音楽も必要ですし、学校の先生も必要。哲学者は当然ですし、絶対現実的に必要なのは経済学です。環境経済学という学問が日本では非常に遅れていますが、経済学も必要です。
そことどう組み合わせていくか? やはり総合力であたっていかなければいけないと感じました。
【米山】小関さん、いかがですか。
【小関】林業、農業、漁業などの第一次産業がどんどんが消えていく。それが一番おかしいと思う。
私自身少しは山を持っていて、小さい頃親父に連れられて下刈りや間伐をしたこともあります。人工林ですと、今はマツ、カラマツ、スギ、ヒノキ。適地適木で、スギが育っところに植えて手入れすればきちんと育ちます。ただスギの場合、自分で肥やしをつくれないので、周りに広葉樹がないと太れないので、何代もスギをつくっていくのは難しい。奥山のブナの森に包まれたスギ林はよく育っといいます。