【大葉】大学の先生おふたりのあとで、非常に平たい台所レベルの話をさせていただきます。
本当に心ある大学の先生、心ある方が行政の重要なポストにつき、知識を結集してグイグイ動かしていく。そういうことにも非常に期待するわけですが、同時に、では私は仕事のところで何ができるか?
デイトFMという、わりと若者が聞くラジオ局で7年間「パストラル・ブリーズ(田園の風)」という番組を担当しています。
番組では市民レベルで運動をしている人たち、ミニコミなども紹介しました。本当にフリーなアナウンサーの立場で「大葉さんがやることなら任せるから」とデイトFMの方も言ってくださり、企画から取材、話すところまで一連の流れをやっています。
生産者の方が自分でつくって自分で売る。最近、直売が非常に盛んになってきましたが、「今年はすごい大雨、台風で本当に大変だった。でも、そういう中で農薬をできるだけ控えてこれだけいいものをつくったよ」と、生産者と消費者が直接話ができます。
私もかつては本当に未熟でした。今も未熟ですが、よくわからないでこの仕事に入ってきたときは、ただ「話す、伝える」という仕事をしたい、という漠然とした思いでした。そのときにはよくわからなかったことが、番組を任されて初めて「情報の産直」といいますか、自分自身の体で感じたことをダイレクトに人に伝えていく重要さを感じました。
昨日、宮城県の北の方の築館町まで行って、稲刈り体験をしました。芋埣(いもぞね)というところの田んぼをお借りして、稲刈りをさせていただいたのです。手伝いには全然なりません。農家の方が刈ってしまいたいところを我慢して残していただいて、手刈りをさせていただきました。
この方は農薬、化学肥料に頼らないお米づくりをしていて、最初は地域の中で非常に孤独だった。こんなに一生懸命やっても報われないのではないか、と思っていたそうです。
ところが、『河北新報』などがバックアップした「環境保全米ネットワーク」というのが新聞で結構紹介され、そこのメンバーになりました。いろいろな地域の人たちと出会うことによって、だんだん点のつながりができ、「孤独ではないんだ。同じことを考えている人がいるのだ」と感じて、そのあとだんだん地域の人たちからも応援してもらえるようになった。
最初はJAはあまり協力的ではなかった。「除草剤を半分にしても、これだけの米ができる」と大学の先生が言っても、「うそだっちゃねー」という感じだったのです。しかも、その農薬が売れないとJAは大変困る。でも、現に除草剤を半分に減らしてここまでお米づくりができるとわかって、「何てうれしいのだろう」というお母さんたち自身の言葉もすごい。大学の先生が「こうだよ」と言うより、同じ生産者の方が「こんなに今まで使っていた農薬は何だったの?」と気づいていった、その意味を感じました。
JA栗駒は、最近は非常に応援してくれまして、稲刈り体験のあと交流会をしましたが、ぜひ協力していきたいとおっしゃっていました。
私の番組のスタッフも初めて稲刈りをしました。ショッキングなことに、スタッフは全く田んぼというものを知らなかった。田んぼに入ってみて、生き物がたくさんいるし、思っているよりも乾いていると思ったらぬかるむし、全然前に進めない。稲刈りをする以前の問題だとか、そういうこともわかりました。新幹線や電車の中でしか見なかった、棒にかけて干してある状態の稲は、遠くから見るとポンキッキのガチャピン、ムックとか、ぬいぐるみかが並んでいるのではないかと思った、と言っていました。
仙台も都市化していますから、都会の人たちには、田んぼが一体どうなっているのか、田んぼの水は元をたどればどこに行くのか、などはおよそわからない。昔、そんなことを習ったような気がするけれど、明確に授業で話してくれる先生はいなかった。
いいお米をつくっても、それを支える人がいなければ意味がない。そうなってくると、本当に台所レベルが大事になってきて、どうやって伝えて行ったらいいのだろう?という壁にぶつかるわけです。
とにかく、水を汚さないでいく。地元の地域の本当にすぐ近くの田んぼや畑で、どういう人たちがどういう苦労をしているかを知る。どんな立場でも老若男女を問わず食べることには毎日、三度三度向き合うわけです。身近に考えられる「食」、毎日ないと生きてはいけない「水」というキーワード。「水と食」というところから、一般レベル、台所レベル、生活レベルに訴えていきたいと思いました。