その森として水を抑えてくれる。田んぼも生きた土になってくると、そういう保水能力を持つ。だから、稲づくりにしても農薬を使わないと、森に近い状態になってくるということを思いました。そういう体験ということが私には非常に財産だと思っています。そういうことがあって、何となく自分を正当化できるというか、自己満足なのですが、そういうことがエネルギーになっている気がします。理科で、単粒構造、団粒構造と習ったのですが、そういう体験で感じられたということが非常にうれしかったです。
農薬を使わないという、ただそれだけのことだったのですが、それだけでも全然変わってくる。化学肥料もないですが、今年から減反が無農薬だと20%カウントされるということで、一切農薬を使わないでやっています。去年までは苗づくりにはちょっと自信がなかったので、ある程度農薬は使って苗は作っています。今年から一切やめたのですが、逆にそういう苗で、遅れてかえってよかった気がします。今、台風5号にも負けずにピンと立っています。アイガモのおかげかもしれません。こういう稲づくりをしていると、田んぼが非常に楽しみになります。
農業は、畠山さんの仕事も同じだと思うのですが、自分で楽しみを持つとそういうことが別の角度で見えてくる気がします。草取りをやっていて、トンボの羽化を目の当たりにすることがあります。それが毎年大体7月の初旬、晴れた日が多い。そういう関係の本を読めばすぐわかるのでしょうけれど、ただ自分が体験として、草取りという作業の中で見られることが非常にうれしいのです。去年はタガメがいて、非常にうれしくなりました。
ツバメには一番感激しました。私と女房が田の草取りをしていると、私の田の上だけ旋回して、他の田んぼへ行かないのです。それは餌がいるからなのか、農薬の入っていない上で巣作りをしたいのか、その辺はどちらかわからないのですが、その上だけ旋回しているのです。ほかの田んぼへ行こうとしないのです。これもやはり、ツバメはわかっているのだなと思いました。私は体験でしかわからないのですが、そういうことが森につながっていく。
■森・川・海は皆つながっている
ブナを守る運動は、我々の命、水と命の源、ブナの森ということでやっています。単なる山登りで見ていた頃はブナはどちらかというと邪魔で、早く見晴らしのいい蔵王みたいに森林がないような山の方が好まれた時代でした。しかし、今は逆に森を求めてみんな来ている。時代が変わったような気がします。森林浴だけでなく、何かあると思うのです。
最近は船渡も水汲みに入ってくる人が増え、水に対する意識はいいのです。根本的な森を守っていく、川を生かす、その中に田んぼがあって、その田んぼから流れてくる。さっき畠山さんから聞いたのですが、田んぼの稲わらとか籾殻にケイ酸があるのです。そのケイ酸が海の生物を豊かにしているそうですが、結局みんなつながっているとあらためて感じました。
このシンポジウムのテーマは「海」で何を話そうかと思ったのですが、結局さっき畠山のお話のように、みんなつながっている。そこでダブっている問題として、川という川にダムが造られようとしています。最低限必要なダムはあると思いまが、むだなダムを造る必要はない。人間が悠々と生きるためには、他の生物も豊かでないといけないのです。ダム、河川工事も、考えなくてはいけない時期にきている。
田んぼにしても、農薬はどうあるべきものなのか。農薬を使わなければ米づくりができないわけではないのです。農薬を使わないで済むような米、稲をつくればいいのです。生産者もそうだし、消費者サイドもそうだと思うのです。
完全無農薬ということで、今年はアイガモで非常に楽なのですが、15年間田の草取りをやってきました。50aから始めて140aまで増やし、構造改善で一昨年から1ha田んぼでやっていますが、端から端まで行くのに1日で行けなくて、途中に腰掛けを置いて田の草取りをしました。今年からは体力の限界をちょっと感じて、女房もガタがきましたので、アイガモに切り換えました。アイガモは虫も好むので、まず害虫になるイネミズゾウムシがいなくなりますし、出る虫もいなくなる。ただ残念なのは、トンボのヤゴも食われてしまうのです。アイガモの田んぼより隣の田んぼの方がトンボは飛んでいました。全部食べてしまう欠点はありますが、あげるとまた生き返ってくるみたいで、アイガモにはアイガモのよさがあるような気がします。農薬を使わないのならアイガモは多いに利用した方がいいのではないでしょうか。稲をつつくから稲も非常に元気なのです。