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大石武一さんが同行してくれまして、そのとき環境庁ではその署名は受け取れない、という反応でした。ブナは林野庁の範囲で、環境庁の問題ではない。でも、大石さんが「わざわざ宮城県から出てきたのだから、受け取ってくれよ」という一言で、何とか2万1000名の署名の写しを受け取ってもらったのです。

しかし今、環境庁は白神山地のブナ原生林を、世界遺産にまでするようになりました。これも世の流れだと思うのですが、あれから10年です。変われば変わるものだとびっくりしています。ここ10年間というのは、いろいろな意味で変わってきたと思うのです。

船形のブナ伐採ですが、ちょっと写真で。これは白いところは雪なのですが、雪のところにスギが植林してあります。畦のように残してあるのがブナです。一応、暴風帯ということで、スギを守るために残された、畦のような林なのです。こういう感じで一囲いが5ヘクタール。これは小野田町なのですが、あまり人が行かないところです。昭和40〜50年、拡大造林計画ということでブナの伐採がどんどん進んだわけです。こういう状態なのですが、こういう切り方はもうやめまして、今は択伐という切り方に変わっています。これで標高400〜600mくらいのところです。たぶん、日本の歴史が始まって以来だと思います。こういう山奥にスギの植林をしたということは。

林野庁はここへスギを植えて育っと思ったのでしょうか。小面積にスギを植林するなら育つのですが、このように大面積のブナ林を伐採して、スギを植林しても、ほとんど育たないのです。こういう状態なのです。でも今は、だんだんこういうやり方は変わりまして、どんどん残すようになってきています。今のスギの植林をしてあるところも、「人工林」という名前から、「天然育成株」という名前に切り換えまして、放置するということです。できるだけ放置すれば、スギはよその木なので、もともとの雑木林に負けてしまう。時間はかかるのですが、何百年単位でまたブナの原生林に帰ると思います。それまでの過程にいろいろな雑木の生存競争があって、たぶんそうなると思うのです。もともとはここはブナの森だったので、極相はブナに帰ると思うのですが。そのように今は変わってきています。

次の写真ですが、こういう風景はブナの森だけなのです。下に残雪があって上が緑、新緑です。この東北に、たぶん水田が発達したのは、ブナの森のおかげです。この雪がなければ、多くの田んぼはつくれなかったと思います。もっとも田んぼに水が必要な代かきの時期にこの雪解け水がなければ、田んぼは潤わないわけです。この雪を抱いてくれるブナの森が、水田をどんどん発達させてくれたと思うのです。これがスギなどになってしまうと、雪が下にないのです。同じ標高にブナ帯とスギの人工林があるのですが、スギの場合は綿帽子になって雪が蒸発してしまうのです。ブナの場合、落葉広葉樹ですので、みんな秋に葉を落としますから、雪がどんどん下に堆積して、この幹とか根張りが横に張るので、その辺でこの雪を抑えてくれる。これが「雪代」となって流れて、田んぼを潤すのです。

 

■農業の楽しみ・うれしい発見

このときに、この緑の色なのですが、この色が下から見上げると薄黄緑色で、透けて見えるのです。それが非常にさわやかなのです。無農薬の米づくりを始めて5年目の頃、除草機を2回押して、そのあと女房と四つんばいになって、草を取る。もうかましながら埋めていくという感じなのですが、そのとき、稲の草丈もかなりのびていて、下からこう見上げたのです。お日様が上から当たっていて、ブナの葉っぱの色とそっくりだったのです。薄黄緑色で、葉脈がはっきり見えて透き通って、それが5俵の収量しか上がらない稲だったのですが、そのときブナの葉っぱと一緒だと思って、こういうことかと。ブナに近づいた米を作れるようになったと。自分がやっている意味が、ブナと稲が一緒になって非常にうれしかったのです。

それから除草機押しも、田んぼに全然水がないのですが、押していくと水が湧いてきて、スルスル滑るのです。これが団粒構造ということなのかと。土の中に水を含んでいるのです。表面上は見えないのですが、水があるのです。押していくと湧いてくる。

これもブナの森と同じだなと。森にはブナの木ばかりでなくて、いろいろな動植物が生きています。

 

 

 

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