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何となく無農薬でつくり始めたのが意地になっていまして、ずっとやってきました。5年間はずっと5俵でした。ということは、土の力は5俵あるなと思いました。ブナの森から来る水でうまい米ができるのですが、それにプラス堆肥を入れました。そうしたら7俵とれました。

そのとき思ったのですが、肥やしというのは、やはり収量を上げるために必要なのだと。それが別に化学肥料でなくてもいいわけです。要するに、肥やしであればいいわけです。稲がそういう食べ物が欲しいというのであれば、そういう食べ物があれば、それだけの収量を上げられる。それが肥やしかと。だから、親父がそういう化学肥料、硫安というものに対して、非常にありがたみがあったと思うのです。ただ、金肥で高いから、それを少ない量でうまく使ったと思うのです。多投しなかったから、意外と病気も少なかったと思うのですが、今はそういう意味では化学肥料も安いですから、使えばどのくらいでも使えるのです。逆に金肥で高かったから少量を有効に使ったということが、多収に結びついたと思うのです。それが別に硫安でなくても堆肥でも、要するに肥やしという感じで入れれば、そういう収量があるということを6年目でわかりました。

 

■「船形山のブナを守る会」

そんなこんなしているうちに、無農薬の米づくりを始めて3年目に「船形山のブナを守る会」というのが発会しました。それは山を登っている連中の集まりから始まっているのです。きっかけは白神山地の青秋林道建設反対という運動がありまして、秋田と青森をつなぐ林道なのですが、意味のない林道、要するに道路を造るためだけの林道だったのです。それは中止になりましたが、その記事が『河北新報』に出ました。私がたまたまそれを見て、山に登る機会があって、夜みんなで酒を飲みながらちょっとその話をしましたら、「それもいいけれど、ふるさとの船形山の山もどんどん切られている」ということで、ふるさとの山を守ろうじゃないかということで、一人1000円ずつ集めまして、2万円集まって、その1万円をその白神の運動にカンパしまして、1万円で始まりました。

昭和60年4月、三本木町の館山ホールという公民館がありますが、そこで発会式を持ちました。それがまた新聞に載りまして、そうしたらすごい反響がありました。電話から手紙から殺到しました。だれが声を上げるかということを待っていたような感じでした。びっくりしました。そのような感じで、我々だけではなくて、宮城県、東北全体で、そういう森林俄採に対して嘆いている方がたくさんいた、ということを感じました。

それで何をしたらいいかということで、まず山を見るということで、山を見る山行きという企画を年に何回かしました。ブナの森の美しさと、伐採現場を同時に見てもらう。そして残す方に気持ちが動いてほしいということをねらって、山へ入ることをまず中心にしました。ブナ伐採を止めるには行政に働きかけなければいけないということで、署名運動を始めたのです。たった6ヶ月くらいで2万1000名。これが14年前です。今は結構、署名運動はありますが、その頃の署名運動で、短期間で2万名を超すということがなかったと思うのです。仙台市の一番町とか青葉通りで街頭署名もしましたが、とにかくいろいろな方から協力してもらって、2万1000名集まりました。

その内容は、さっき畠山さんが言いましたが、「ダムをつくって水を貯めることはできるけれど、永遠とは続かない。ダム上流部の森林を残すこと」の要望を、署名の中心に置いてやりました。我々が飲んでいる水も農業用水も工業用水も、すべてブナの森から来ているわけです。私は三本木に住んでいますから、漆沢ダムです。仙台の人ですと、船形山系で大倉ダムです。そこから水をいただいているわけです。そうすると、我々の生活を維持するためには、その森林が必要なのだと。だから、つながりがあるということで、まずダム上流部のブナ伐採禁止ということでやりました。

その2万1000名の署名を持ちまして、林野庁、環境庁、青森営林局と回りました。そのとき宮城県の知事は山本壮一郎さんでした。山本さんは山を登っていましたので、気持ちよく受け取ってくれました。環境庁へ行きましたら、そのときスパイクタイヤ問題の森環境庁長官でした。

 

 

 

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