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基調講演「田んぼの水をたどれば、森に着く」

小関俊夫(「船形山のブナを守る会」代表)

 

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小関俊夫

 

三本木町から来ました、小関です。畠山さんの次で非常にやりにくいのですが、私なりに30分間話させていただきます。

 

■無農薬の米づくり

農業ですが、私も宮城県農業短期大学を出てから米づくりを始めました。でも、農業がやっぱり格好よくないという感じで、東京へ出たりしまして、ちょっと美術の方をしたかったのですが、飯が食えないと思って帰ってきて、親父の手伝いの農業を始めました。ずっと10年間くらい、33歳くらいまでは早寝早起きではなくて「遅寝遅起き」で、親父の手伝い農業で農業をやっていたような感じです。そのころは化学肥料、農薬を使わないと米はつくれないものだと思っていました。それが農協の指導であり、親父の農業だったのです。

そういうものに疑問を持ったわけではないのですが、何となく自然に反するような気がしていたのです。それは、高校時代から山登りをやってきまして、どちらかというと自然に接し、山の破壊を見ていたので、田んぼもどんどんそういう感じでおかしくなっていくな、という感じがしていました。女房が「玄米を食べてみよう」と言いまして、「玄米だったら無農薬の米だ」ということで、無農薬の米づくりを始めたわけです。それが16年前です。

農薬は、親父の頃は硫安とか、除草剤」にしても今使用禁止になっています2,4-Dなどがあったのですが、数はそんなに使わなかったのです。そのころは生き物もいたし、堆肥も田んぼへ還元していましたので、意外と米もとれたし、うまかったと思います。2,4-Dなどを使って、結局農家の人が害を受けたのでしょう。例えば、空散で問題になりましたイモチ病は、粉剤でヘリコプターからまく。水剤でも水に溶かしたものをまくような空散防除もありました。あれが消費者の間で非常に問題になったのですが、今は、オリゼメートとかコラトップというイモチに対しての農薬があるのです。それは稲に吸収させて、イモチに強くする農薬なのです。だから、逆に今までは空気を汚していたのですが、水を汚すような感じの農薬に変わってきています。ヘリ散布がないから意外と感じないのですが、そのように農薬が変わってきているのです。

そういう意味で、農薬を使わない米づくりを始めて思ったのですが、最初10アールあたり5俵でした。毎日除草機やら手押し除草機を2回押してから、女房と2人で四つんばいになって30間行くのに半日、ひどいときは1日かかるような草の出方でした。それも「草、こんちくしょう」という感じで毎日やっていたのですが、そうすると手も痛くなれば腰も痛くなる。夜も眠れない感じでした。でも、親父の時代には稲も手で刈っていたことだし、田植えも手で植えていたわけです。私も農業を始めたころは手植えだったのです。手植えのころは腰が痛くてひどかったです。若かったせいもあるのですが。そういうことがあるので、せいぜい田の草取りくらいはできるだろうと。田植えと稲刈りのように、2週間とかその期間内に収めなくてはいけないものでもないし、気長に草を取ればいいと思っていました。

ところが、やはり車の方がどんどん勢いがよくて、だんだん稲が負けていくのです。

 

 

 

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