というのは、なくなってしまってやっと目覚めるというのが我々が過去の教訓としていっぱいあったわけで、例えば一つだけ最後におもしろい事例を紹介しておきますと、福岡市で3〜4年前に大渇水になって水が足りないということで、農業用水を買い上げろということになったのです。結局、早原区のかなりの地域が田んぼを休んで休耕しました。そうしたら、どういう意見が市民から寄せられたかというと、とにかく田んぼは作ってほしいと。「どうしてですか」と地元の百姓が聞いたら、「暑い。広範囲に田んぼを休まれてしまうと、吹く風が熱くてかなわない。散歩しても水は溜まっていないし、魚は泳いでいないし、水路には水が流れていない。こんなところに住みたくない」。結局、田んぼを広範囲に休んでしまって、田んぼの陰にならない世界がよく見えてきたということです。
田んぼの場合はすぐ復活できるかもしれませんけれども、前の年、カエルとかトンボとかは卵を産んでいませんから、しばらくは元に戻らないです。そういう格好で、どうもなくなってみてやっとわかるところがあるから、なくなる前に言葉にして表現していく。特にお金にならない世界というのは、今の人間は言葉にして表現するしかないのです。昔の人は体でわかっていたと言いますが、そういうのが百姓なり漁師の役割として今からいるのではないでしょうか。それをしないと市民というのは頭の中でわかっていて、実感として農業は大事だ、漁業は大事だというふうにならないのではないでしょうか。そういう百姓なり漁師の運動があってこそ、海の豊かさというのもイメージ豊かに描けるような気がしますから、課題は同じかな、という印象を受けました。
【片山】先程の豊島もそうですが、「一度汚染されたところは元に戻らない」のです。汚染をしないためには私たちの生活を変えていかなければいけない。
豊島でもうひとつわかったのは、誰の責任か、となったときに誰も責任をとらないということです。
この2点がはっきりしました。そこにゴミと積まれたものが、結果的に私たちの生活の中から出ていったものもあるということに戻れば、自分のゴミ袋の中を責任を持つことが大切だと思います。
今までは汚染されたものの後始末の話でしたが、物が作られる前の段階からゴミにしない方法も考えねばならない。今日はその辺の話が少なくなりましたが、「海の悲鳴が聞こえませんか?」と紹介したい例があります。汚染には化学物質とともに不法投棄やポイ捨ての問題があります。これを島の中から考えた例をご紹介します。 <以下、スライド併用>