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【楠田】大変難しい問題をちょうだいしてうろたえていますが、諌早湾の中に溜まった水が外海に影響を与えているということに関しましては、堤防がなくてもあっても、初めからそこに出てくる水が出てきていますから、その水のためにそうなったというのは科学的には考えにくい。

 

【会場8]】お尋ねしたいのは、今までは出てきていたものを、諌早湾の水門で全部止めてしまったという現状です。そして、そこに溜まった水が腐っていくわけです。今までは下で、1日2回干満によって流れてましたから、干潟で浄化されていましたが、今は汚れが泥として止まるわけです。止まったものが、今度は雨が降ったときに水門を開けるものですから、汚い水になって出てくるわけです。結果が赤潮だ、と。さっき申しましたように、過去に経験のないような赤潮が出たということです。

 

【楠田】諌早湾の堤防の内側の窒素のレベルというのは1.Omg/lぐらい、ときにはそれを超えます。植物プランクトンの異常増殖が起こることはまちがないというのは、当初から予想していたわけであります。それが、沈殿して、要するに貧酸素水塊が底面のところにできてきたときには、科学的な説明は省略しますが、いろいろなものが下の方から溶出してくる可能性がある。そういう意味で、おっしゃられるように従来とちょっと種類の違う水が外に出ていく可能性は当然あります。次に、それが赤潮を造り出したかどうかという問題があります。例えば、今のレベルをもってしてでも、博多湾ですら赤潮がいつどのタイプのものが出てくるというのは予測ができない状態です。科学的には1対1で必ずそうなっているということが言えない状態であります。ですから、その先は、その点については回答が出てこないということになります。

 

【小野】なかなかお答えしにくいし、ここは運動をするところでありませんので。海の方から見て、陸からいろいろなものが入ってくる。その海から見た陸の姿、というのを何らかの形で浮き上がらせてみよう、というのがこのシンポジウムの目的だろう、と私は理解しています。

時間も迫ってきましたので、この辺で各先生方にお一言ずつまとめをしていただこうと思います。

 

【長崎】まとめることはあまり考えていないのですが、確か中国の言葉だと思うのですが、「飲水思源(インスイシゲン)」という言葉があるのです。水を飲むときに、その水がどこから来たのか、ということを意識しながら飲みなさいよ、ということが「飲水思源」です。これは中国人の考え方、知恵だと思うのですが、我々が水を飲んだり、その水を使ったりするときに、その水がどこから来ているのか、どうなっているのか、ということをどこか頭の隅でも考えることが重要だと思います。環境に対する市民の態度の集積が、環境問題を解決していくのではないか、という気がします。

我々一人ひとりができることは非常に限られてしまうわけですが、主役は、先程私が申し上げましたとおり、市民なのです。生活している我々住民なわけです。一人一人は非常に消費量も少ないし、効果は小さいかもしれないけれど、そういう小さい市民の集団が主役であることはまちがいないわけです。国がどういうふうにお金を使って、どういう旗を振ろうとも、私は環境問題というのはうまくいかないと思います。環境問題というのは、飲水思源的な思考の中から生まれてくるのだろう、ということを感じております。

 

【宇根】魚を食べることに対しても、別の可能性があるような気がします。今日は僕ももう少しよくわかりませんでしたけれども、例えば、「日本の田んぼでとれた米を食べることは日本の赤トンボを育てることだ」というふうに我々は主張しているわけです。博多湾の魚を食べることは、博多湾の(イメージはよくないですが)汚れを除去していることになるわけでしょう。要するに、博多湾を豊かにしているということにもなるわけです。だから、漁業の方ももっと積極的に環境との関係をアピールしていくという可能性はないかなという感想を持ちました。

それと、諌早湾の例もそうですけれども、どう見てもああいうもおかしいわけですから、堤防を今さら撤去はできないわけですから、堤防を残して、水は行き来をできるような格好にしてもう一回再生できる可能性はないか。その辺、代案を練ったらどうかと思います。

 

 

 

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