【片山】私たちは、お母さんたちが10名集まったワーカーズ・コレクティブ形式のゴミ問題研究会を1990年にスタートさせました。私は福岡に来て17年なるのですが、15年前に隣にいらっしゃいます宇根さんと出会いました。減農薬をすすめ、安全な米を食べる消費者でもありました。農薬の勉強会をしながら、食のこと、環境のことを考えてきた流れの中で、ゴミ問題について考えていこうという集まりをしました。
宇根さんと出会って10年以上たって、やっとこのように隣り合わせて座れることに大変感謝しています。海をみるところでやっと一緒に隣どうしに座って話せるんだなという思いがします。今日、私は学者でも何でもなく一主婦ということで、この間見てきたことについてお話をいたします。
8年前にはゴミ問題はさほどうるさく言われていなくて、情報もあまりない中で、自分たちで勉強会をしたり、見学に行ったりしていましたが、ここ数年間は新聞にゴミ問題が載らない日がないぐらいです。それから、昨年のダイオキシンの騒動から今年の環境ホルモンまで、本当にたくさん情報が流れている中で、一体何をどうしたらいいかということについては、地球レベルで関心があっても、地域レベルの関心は非常に薄いな、と実感しています。
私たちが8年前に福岡市を訪ねたときに聞いた驚いた話があります。福岡市内には3つの清掃工場、久山町に伏谷の埋立地を昭和63年度に200億のお金をかけてつくりました。それ以前に今津湾の方に埋立地をすでに持っていました。それから約2年ぐらい前に今津湾の奥の方に中田の埋立地というのをつくっています。人口、ゴミ量が右肩上がりに増えるという、その対策としては清掃工場をつくって、埋立地をつくるというようなゴミ処理の方法しかしない。私たちはこれはおかしいのではないか、自分の生活を見ていてもこのままではいけないぞ、と実感していたものですから、何とかゴミを減量する、減らす、なくすという方向で考えないと、今の消費世界は終わるのではないかと思っていました。
それをいろいろな形でいろいろな人たちにお話ししていくために、私たちは出前学習をしたり、「ゴミの雑学考座」をしてきました。九州各地で200回の講座をしてきたのですが、その中でわかったのが福岡の町が一番ゴミ行政が遅れているということです。これに対して、町の規模が大きいためになかなか解決はできなくても、他の町でもいろいろと努力をしている例がたくさんあることを実際にその地域に行って勉強させてもらって、持ち帰って提案するけれど、なかなかそうなってはいかない。やっと昨年からゴミの指定袋というのが入りまして、分け方のルールだけはできたのですが、まだまだ解決できない。ゴミ問題をどの点から見ていくか。私たちはいつもゴミの最終処分場(埋立地)から見ていこう、そうすると途中からものを考えるよりも非常にわかりやすいと感じています。
1990年代には処分場問題を抱えている人たちがたくさん声を上げるようになりました。1994年ぐらいから全国的な運動として「廃棄物処分場問題全国ネットワーク」がスタートしています。全国からたくさんの人が集まって処分場問題を語る中で、なぜこういう問題が紛争として起きているのか?
「まず燃やす」清掃工場は世界の2/3になる約1860ヶ所が国内にあります。焼却灰が出ます。不燃物を埋める一般廃棄物の処分場が、許可が出ているもので約2320か所ぐらいあります。それに産業廃棄物の処分場を合わせると、不法投棄を含めて1万とも2万とも言われる処分場が国内にあります。
この処分場の寿命が一般廃棄物ではあと7年しかない、と言われてもう数年経つような気がしますが、産業廃棄物の処分場もあと2年ぐらいしかない。産業廃棄物を1994年のゴミの排出量に合わせて施設を多少つくっても、2008年には産廃を埋めるところはもうないということが厚生省のデータの中に出てきていることに対して、どうしてこの国はのんびりと、切羽詰まらないのだろうかといつも考えています。現実を正しく伝えていくということは本当に少なかったのだ、という思いをしています。
処分場問題に関しては、市民レベルで反対運動をやっている人たちが福岡県内でも約20ヶ所ぐらいあります。個人レベルで情報の交換をしながらやっているわけなのですが、中山間地にできる処分場に関しての反対というのが非常に多い。山や谷を埋めることに関して何が一番問題かというと、水源地の汚染です。