そこで住んで、その水を利用し生活をして生計を立てている立場の違うたくさんの人がいます。そういう人たちの集合によって決定されるべきものだろうと思うのです。
実はそういう人たち、流域の住民というのはいろいろなパーツがあるわけです。例えば、簡単には農業と漁業というのはある意味で分離しているわけです。ですから、林業の人もいるし、畜産をやっている人もいる、都市生活者もいるし、工場をやっている人もいます。そういうそれぞれのセクターの人たちが、自分たちの産業の利益だけを主張していたのでは、流域的な選択というのはできないのだろうと思います。そういう選択ができるような流域住民の合意、あるいは集まって検討する。そして、そういう流域住民が最終的な責任を持たなければいけないのだろうと思います。ですから、水の使い方を間違って大変なことが起こったとき、その責任はその流域の人たちが負うべきものだろうと考えております。
パネルディスカッション
【コーディネーター】 小野勇一(九州大学 名誉教授)
【パネラー】
楠田哲也(九州大学 工学部 教授)
片山純子(ワーカーズ・ごみ問題研究会 代表)
宇根 豊(福岡県農業大学校 講師)
長崎福三(財団法人 日本鯨類研究所 顧問)
【小野】私、コーディネーターという役割は、実は今日が初体験でございます。だから、うまくいくかどうかわかりませんが、パネルディスカッションというのを面白くするも面白くしないも会場の皆さんの責任だと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
私は本来は動物の生態学をやってきた男でございます。動物学者と言っていただいてもよろしいかと思いますが、海の動物から陸の動物まで、結構何年間か一緒に遊んでもらって、今まで生かせていいただいているわけです。進化の歴史から見ますと、海というのは私たち生き物の母体であるというのは、これは皆さん方よくご承知のところであります。ところが、陸上に上がった今の生物たちから見ますと、海というのは恐ろしいところで、なかなか近寄りにくい世界であります。なにしろ海に入るというのは、普通の生き物にはできないことでありまして、人間が入るときにもアクアラングでありますとか、やたらといろいろな装備を背負って入らないと息もできないというような世界ですので、何となく切れたようなものです。
そういうふうに陸上の生活にどっぷり浸かっておりますと、海のことは忘れがちであります。ところが、中には勇気を起こして海の中に入り込んでいった、再び母なる懐に抱かれていった動物たちがたくさんいます。頭の中で考えるとすぐわかりますように、まずウミガメがそうです。例えば、日本の近海におりますアカウミガメ、一番北まで来るカメですが、それが太平洋の真ん中までウロウロするだろうと思っていたのですが、実はアカウミガメといえども陸上のカメに近いところでありまして、せいぜい東シナ海ぐらいまでしか行かないのです。また、卵を産むときにはちゃんと陸上に来て、海岸で卵を産んでいます。つまり、海に生活の場を移しながら陸への思いを断ち切れない動物なのです。