時間がきわめて限られていますので、あまり広範なお話ができないと思います。実は、今日掲げられたシンポジウムの課題というのはきわめて広範なわけです。そのうちのごく一部分のところをかいつまんでお話しするということにとどめたいと思います。
今、宇根先生がいくつかの問題を提起されたのですが、私は機会があったらお答えしておきたいなという問題がいくつかございます。これはあとのパネルディスカッションのところで、ぜひ試みてみたいと思います。
■海からの発想
我々、よく面倒くさいこと、いやなことは「水に流す」と申します。それから、海に流すと、そこで物事は決着してしまう。そういう考え方が今でもあるわけです。いろいろな川とか汚染の本を読んでいますと、川にあるものを放流すると周辺の住民に迷惑になるから、何か方法を講じなければいけない、と書いてあります。それは大変いい発想なのですけれども、周辺の住民に被害が及ばない格好で海に流してしまう。海に流してしまうと、そこでお話は終わっているわけです。流された海のことをちっとも考えてくれない。
「海はどうなるの?」と、我々、漁業生物とか海洋生物をやっている連中は、そういうものが海に流れ込んできたところから問題を考えていかなければいけないわけです。ところが、陸の立場の人は、海に流してしまえばそれですんでしまうという発想なわけです。これは水と油みたいなものですから、こういう議論をいつまでやっていてもものの解決にはならないわけです。我々、海の目線で川上のことを考える、陸の方を向いてものを考えると、そういう主張をどこかでしておかなければいけないだろうと。もちろん、陸の人が海にもっと十分な認識と観察をしてもらわないと困ることはもちろんですが、海からの発想、海からの発言というのをやらないと、海が大変悪くなってしまってお魚も棲めなくなってしまうと。非常に極端なことを言うようですが、実はそういう事例はいくつもあるわけです。その辺のことを、もし時間がありましたらお話し申し上げたいと思います。
■水循環システムをぶつ切りにした対策
我々の体の中に血液が流れているわけです。血液は循環しているわけです。それとまったく同じように、地球上の水というのは地球を循環しているわけです。その循環系の中で、我々人間だけでない生物全体が生きているわけです。ですから、その循環系全体をつかんだ上でものを考えないと、その一つのシステムをブツブツと切った一つ一つの切片をとっても、物事の実態というのはまったくわからないし、対策が立てられないわけです。我々が今までやってきたことは、残念ながら全部ぶつ切りなのです。ぶつ切りはいくら合わせても生体にはならない、生きたものにはならないわけです。今日は、システムでものを考えないと海はえらいことになりますよという点を強調させていただきたいと思います。