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除草剤を含んだ水を川に流すと川は汚染される、あるいは、今、化学肥料を使いますから、化学肥料で濃厚に肥料が溶け出た水を川に流すと川の汚濁が進む。だから、田んぼの水は川に流すなと。それに対して、有機農業をやっている百姓が反論していました。「いや、自分は化学肥料も農薬も除草剤も使っていない。堆肥で作っている。だから、俺の田んぼの水は流してもいいんだ」と。それに対して、「いや、それでもだめです。ただでさえ水がこんなに汚れているのに、いくら有機農業であっても、やはり栄養分は含んでいるわけだし、プランクトンは含んでいるわけだから、それを流すとより負荷が大きくなる。だからだめですよ」。「ああ、そうか。かつては田んぼの水は川を豊かにし、海を豊かにしていたのだけれど、最近は川をさらに汚し、海をさらに汚すのか」と考えると憂うつな気持ちになります。

僕自身は、もう一回、田んぼの水を喜んで川に流せるような環境を作るしかないのではないかと思います。そのためには、川の生き物、田んぼの生き物がどういうふうに結び合っているのか、できれば、それが海の生き物とどういうふうに結び合っているのか。うちの横の川にもアユがいますし、モクズガニがいます。これだと海に下っていっているわけです。また海から上ってくるわけです。不幸なことに、僕はその辺のことはよくわかりませんけれども、田んぼと海との関係も相当濃厚にあったはずなのですけれども、実感としては薄れてしまっている。実感としてもうひとつわかない。それがわくようにしていくことが今から大事ではなかろうかと思います。

基調講演を頼まれて、だいたい僕は海のことはわからないのにとうとう引き受けてしまったのは、こういう機会にパネリストになってほかの先生からもいろいろな学べることもあるだろうし、会場の皆さんからも学べることもあるのではないかと。それと同時に、僕自身も薄々は感じていたけれども、あらためて海と田んぼの関係をきちんとここで見つめなおすというか、見つめはじめるスタートに今日はなれるのではないかと思って引き受けたわけです。僕は思っています。東南アジアから飛んでくる赤トンボ、頭の中でいろいろ想像しますが、はっきり言って実感はもうひとつわきません。だけど、自分の田んぼに飛んでくる姿を見たときには、何となくやはり「ああ、よく飛んできてくれた」という気がするわけです。自分の田んぼから流れ出る水が海に注ぐというのも頭の中ではわかります。でも、それが海の生き物とどう関係しているのか、海の生き物にどう待ち望まれているのか、どう嫌われているのか、その辺の実感もつかめるようになりたいなと思います。そういうふうに実感としてつかめるのが本当の百姓の能力というか、百姓仕事ではないかと思うわけです。

 

■21世紀の主役:百姓・漁師

僕自身は、百姓が21世紀には主役にならないとだめなのではないかと思います。もちろん、漁師もそうなのです。つまり、百姓という仕事は、実感として身の周りの環境をとらえることができるわけです。そういう仕事をやっている人間がリーダーにならなければ環境はよくならないのではないか。そのためには百姓も、単に農薬を減らすとか、安全な食べ物を作るとかいうレベルを超えて、実感として川の生き物、海の生き物、東南アジアの生き物、中国の生き物、山の生き物を感じ取る、そして、それを言葉として百姓でない人にきちんと表現をしていく、そういう新しい役割が21世紀にあるのではなかろうかと思います。それをバックアップしていくのが農業政策であり、我々指導員であり、農業試験場であり、大学の先生たちなのです。そういうふうに農業をもう一回見つめなおしていくということが大事ではなかろうかと思います。ですから、海と田んぼの関係というのも、百姓にとっては今からぜひ取り組みたいなという程度で、今日は申し訳ありませんけれども話を終わらせてもらいます。

 

 

 

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