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「僕たちはムツゴロウが心配だ。だけども、もっと心配なものがある。今、国民の世論はムツゴロウをすごく大事にしようというふうになってきている。すごくいいことだと思うけれども、では、田んぼのメダカとかドジョウとか赤トンボとかゲンゴロウとか、そっちの方に国民の目を向けさせることはできないのか」というレポートです。つまり、確実に今の青年たちの眼差しは変わってきています。生産一辺倒の我々世代の発想ではなくて、新しい世代が確実に育ちつつあります。だけど、そういう若い世代にきちんとアドバイスできるような農学とか教育機関、文化、農業政策があるかというと、お寒いかぎりです。

棚田に対して国が補助金を付けようとしています。なぜ付けるか、条件不利地域だから。僕はこれでがっくりきます。つまり、条件が悪いところで稲を作っているから、コストがよけいかかる。だから、そのコスト分だけを補填しましょうという発想ですけれども、違うのです。棚田が何で注目を浴びているかというと、美しいからです。棚田の美しさは何から来ていると思いますか。棚田の美しさというのは畦の美しさです。稲の美しさなら平坦地の稲だって同じです。畦の美しさは何から来ていると思いますか。これは畦草切りの美しさです。あれが草ぼうぼうになっているところに稲が植わっていても、全然美しくないです。やはり、畦草切りをするという百姓仕事をすることによって、あの美しさは生まれてきているわけです。

もっと言えば、都会人ですら、農業をしたことのない人間ですら、田舎に行って棚田を見ると美しいなと思うでしょう。これはどうしてでしょうか。やはり人間が自然に手入れして折り合った姿がほっとする、安心する、美しく見える。そういう美意識が、日本には文化としてまだ健在だということではないでしょうか。だから、不断に人間が手を加えていく。そして、必要以上にコンクリートにしたり、除草剤をふったりするのではなくて、人間の生き物の住処を壊さない程度に手入れをしていく。そういうのを美しいと思う美意識と文化というのは、やはり壊れていこうとしています。

だから、それを壊さないために、つまり百姓仕事を評価するために、農業というのは本来そういうものだということをあらためて認識するために、棚田に補助金を付けようというのならわかります。そのためには、今までの農業政策は180度の転換をすべきでしょうね。きちんと、今まで生産一辺倒でしか補助金を出さなかった農政を反省をすべきでしょうね。反省もしないで、いや棚田も大事、平坦地も大規模経営も大事ではいけないと思います。

つまり、環境が大事か生産が大事かという立て方をするからまちがうわけです。環境が大事か生産が大事か、どっちも大事です。そして、環境は生産の土台です。だから、どっちを取るという問題ではないのです。それを勘違いしている人が今まで多すぎた。残念ながら、生産は金になるけれども環境は金にならないということで、生産を選び取らざるをえなかった百姓の悲しさというのも、棚田には込められているわけです。棚田なんて作るよりは、米を買った方がよっぽど楽ですよね。安上がりです。にもかかわらず作りつづけてきたそういう気持ちにこそ、本当に自然と折り合う人間の新しい可能性を見つけ出すべきではないかと思います。

 

■田んぼの水→川→海:百姓の実感・役割

では、海との関係はそういった考え方の延長でどういうふうに切り開けばいいかということです。僕も化学肥料を使わずに堆肥を使って田んぼを作っていますし、大学校でも農薬、化学肥料を使いません。かつては、さっきも言ったように、田植えをするときにいっぱいミジンコ、プランクトンが生まれます。あるいは、有機物で水が濁ります。その水を川に流して、田んぼの水を減らして田植えをするというやり方が一般的だし、今でもそうです。そうすることによって、川の生き物は喜んだと思うのです。「田んぼからいっぱいプランクトンが流れてきた。栄養分が流れてきた」。それで、川の生き物、藻とか水草も育ち、貝も魚も育ったと思います。それが流れ下りて、海に行って海の魚とか藻類とかも育てたのではなかろうかと思うのです。その辺の詳しい話は長崎先生がされると思いますが。

ただ、最近はこういうふうに言われています。「田んぼの水は流すな」と、理由は2つです。まず、田んぼの中には、田植えをしたら除草剤をふります。

 

 

 

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