これはどうやって使うかというと、下敷きでも何でもいいです。もし、皆さんが田んぼに行かれたらぜひ見てください。田んぼというのは畦の上から、あるいは道路の上から見ていたのでは本当の世界は絶対にわかりません。田んぼの中に入るしかないのです。今、学校教育がまずいと思うのは、田植えとか稲刈りは結構生徒にさせますが、途中の田んぼというのを見せようとしません。なぜかというと、先生たちも見せたとしても指導できないのです。どういう虫がいて、どういう生き方をしているのか先生たちは知りませんから。
どうやって使うかというと、マイクを稲の株とします。水がたまっていたら一番根元に付けます。反対側から稲の株を叩くわけです。稲の株に100匹の虫がいるとしたら、だいたい50匹ぐらいこれに落ちます。じっとしているのが害虫です。動き回っているのが益虫です。どうしてかわかりますか?普通ここでクイズをやるとウケるのですが、今日はそういう時間がありません。害虫の気持ちになって考えてみてください。
害虫はどうやって生きているか。稲にしがみついて稲の汁を吸っていればいい。稲の葉っぱに止まって稲の葉っぱをかじっていればいいわけです。でも、益虫は、天敵はそれでは仕事になりません。動き回って害虫を捕まえないといけない。害虫がいっぱい落ちます。益虫もいっぱい落ちます。もちろん、害虫の方が多いです。例えば、田んぼにはクモが二十何種類いますけれども、見ているとパッと害虫を捕まえてくれます。あるいは、よく見るとハチが寄生している害虫がいます。あるいは、つぶすと中から寄生虫が出てくる害虫がいます。いろいろな世界が見えてきます。そのうち、害虫でもない益虫でもない虫がいっぱいいるということに気づいたわけです。そこから重大な発見があったわけです。
害虫でもない益虫でもないよというのが、実は田んぼで一番多いのです。名前は何というか知っていますか。「害虫」、「益虫」、「天敵」という名前がありますけれども、これは名前がなかったのですよ。よし、では名前を付けようということで、日本で最初に名前を付けたのが我々です。名前は「ただの虫」と付けました。今になったら本当に失礼な名前だったなと思っているのですが、僕の作った図鑑にも「ただの虫」と書きましたし、この前学会に呼ばれて話に行ったのですが、学会でちゃんと「ただの虫」というのが使われているのです。だから、「ただの虫」というのも言葉としては見直さなければいけないかなと、それはそれでいいかなと思っているのです。
ただの虫というのは田んぼの中になぜいるのだろうか。我々は、「稲は役に立つ」「害虫はそれを害する、危ないな」「それを食べてくれる益虫は人間のために役立つ」というような格好にしか認識しません。
けれども、ただの虫というのは害にも役にも立たない虫です。でも、田んぼでいっぱい生きている。これは何か目的があって、何か理由があって生きているわけでしょう。例えば、トビムシというただの虫がいます。田んぼに行けば、冬だったらいっぱいいます。なぜかというと田んぼの稲の葉を食べているのです。今ごろだったら、ただの虫の代表的なやつはユスリ力というのがいます。電気にパッと寄ってくる蚊みたいのがいるでしょう。刺したりしませんけれども、幼虫は赤くて、金魚虫とか赤ムシとか言われているミミズを小さくしたようなものです。これが田んぼにいっぱいいます。
実は、ただの虫も実は大事なんだというのがわかったのです。例えば、中国から害虫のウンカが飛んでくる。ところが、飛んでこない年もあるのです。飛んでこないと、害虫を待ち受けている益虫たちが困るのです。例えばクモがいます。ウンカが飛んでこないと、クモは共食いしはじめてガタンと減ってしまいます。そこへ遅れてウンカが飛んできたら、ウンカに対応できないですよね。ところが、田んぼの中というのはうまくできていまして、ただの虫がいっぱいいるから、クモはただの虫で食いつなぐわけです。そしてただの虫を食い飽きたころ、ちゃんとウンカが飛んできてくれるのです。
■生物多様性
最近、「生物多様性」という言葉がはやっています。だけど、僕はどうも実感をともなわない言葉だと思っていますが、でも、ただの虫とかを虫見板でしょっちゅう見ていると、生き物はいろいろいた方がいいのかなという気になるのです。