実は、田んぼで生まれているということはすごく意味があるわけです。今日はそのことを強調する必要はありませんけれども、田んぼというのは米を作っているだけではなくて、赤トンボというのは一つの象徴にすぎませんけれども、赤トンボも育てているのだ。その赤トンボを日本人は自然の生き物と思って暮らしてきたわけです。だけど、本当は自然ではないのです。田んぼが自然であれば、もちろん赤トンボも自然ですけれども、田んぼはだれも自然と思っていません。自然というのはどこですか。山とか海とか川と答えますけれども、田んぼを自然と思っている人はほとんどいません。だけど、日本人が感じ取っている自然という世界から田んぼを除けてしまうと、すごく貧弱な自然しか残らないのではないでしょうか。
身近な自然の生き物を3つぐらい思い浮かべてみてください。多いのがやはりカエルとかトンボ、メダカ、ドジョウですが、ほとんど水辺の生き物です。中にはカブトムシとかセミもいますけれども。水辺の生き物というのは田んぼと無縁では育ちません。ですから、日本の自然を大事にしていくということは、日本の田んぼを大事にしていくことだと僕はいつも言っているわけです。
ただ、今日は海の話ですからもう少し話を広げますと、かつて僕は稲ばかり見ていました。いかに稲を上手に育てるのか、うまく育てるのか、米をいっぱい穫るのかと、稲ばかり見ていました。つまり、生産を上げることばかり考えていたわけです。大方の大学の先生も、農業試験場の先生も、農協の職員も、農業改良普及員も行政の人もほとんどそうでした。いつのころからやっと田んぼ全体が見えはじめて、田んぼの生き物が見えはじめて、川と田んぼの関係が見えはじめて、そして海と田んぼの関係がやっと見えはじめつつあると。残念ながら、農業の側の自然を見る目はそれくらいお粗末なのです。だけど、僕は今から頑張ればできると思っています。
その入り口のところまでもう少し話したいと思うのですが、実は先程の赤トンボはどこから飛んできているかというと、東日本の赤トンボ、アキアカネは田んぼで卵を産み、冬になると死んでしまうわけですが、九州の赤トンボは秋になるといなくなるのです。そして冬の間は全然いないわけです。卵も産んでいません。ところが、福岡だったら4月の下旬ぐらいになると早い田植えが始まります。本格的には6月ですけれども、4月の下旬ぐらい田植えをすると、すでに赤トンボが飛んできて卵を産むのです。どこから飛んできているかわからなかったのですが、これは東南アジアから飛んできているのです。海の向こうから飛んできているわけです。
害虫の調査をする船がありまして、長崎から船が出ていくのです。ウンカ(セミを4ミリぐらいに小さくしたやつ)というのが稲の最大の害虫ですが、これが中国から飛んでくるわけです。ちょうど今ごろ梅雨前線に乗って飛んでくるのですが、それを調べに長崎から船を以前は毎年出していたのです。東シナ海の定点に船が止まって、夜電気をつけて観測するわけですが、船の窓にウンカが飛んでくるのです。それと同時に、赤トンボも船に飛び込むのです。その船に乗った人の本を読んでいたのですが、赤トンボが波の上に乗って休んでいると書いてあるのです。嘘だろうと思いました。でも、考えてみると、東南アジアから飛んでくるなら海の上に休まないといくらなんでも飛んでくれません。そういう世界があるわけです。実感としてわきませんよね。だけど、現実にそうやって飛んできて、自分の田んぼで卵を産み、そしてどんどん親になって生まれているわけです。
そういう世界が残念ながら今までほとんど見えてこなかったです。米を作る、稲を作る、生産だけを考えたときには見えてこなかったです。それが見えてきたというのは、福岡で始まった「減農薬稲作運動」からなのです。
■虫見板→害虫、益虫、ただの虫
これが有名な「虫見板」という板です。これが日本の稲作を変えたというとオーバーですが、百姓の眼差しを変えました。僕自身も考え方が変わりました。こういう道具を僕が持っていなかったら、いまだに稲の収量アップとか品質アップとか、そういうことばかりやっていたでしょうね。これを使ったために、僕の人生というのは完全に変わってしまいました。いい方に変わったかどうかはわかりませんけれども。