ところが一方、行政は「容器包装リサイクル法」を実施しはじめています。平成10年度実施です。これによってゴミはまちがいなく減少します。 ドイツの例では、リサイクル率90%以上になると、ゴミの総量は30%減る、ということが起きます。では、人口がふえ、ゴミも今の何倍かになったとき、一方で焼却場を建てて燃やすゴミを減らして、再資源化システムを同時進行していると、焼却場は余るのではないですか。実際こういうケースが出てきています。
ご存じだと思いますが、日本の焼却施設というのは1500あります。ドイツは50しかありません。人口の問題もありますが、燃やすということを根本的に考えなければ、これは何も変わらないのです。
こういうことに気がついている市民の方がふえることが、社会を変えることではないか、森と海を大事にすることではないか、と思います。
先程、小野先生の言葉で一つとてもいいものがありました。「心で相手の痛みを感じる」ということです。つまり、海や川や森への思いやりといったものを心で感じるということ、それが環境運動ではないかと思っています。
【小野】ドイツでは今、ゴミ焼却場がゴミを奪い合っているのです。つまり、ゴミの量が減ってしまったから、少し前に作られたゴミ焼却場に、ゴミが集まらないわけです。あまり集まらないと、そこは停止されてしまうので、「自分のところにゴミをよこせ」とゴミを奪い合っているのが、ドイツの現状なのです。つまり、それくらい急速にゴミの量が減ってしまった。リサイクル、リターナブルを市民が徹底したために、現実にそういうことが起きているわけです。ですから、それを見ると日本はいかに遅れていることか。3周ぐらい遅れている感じです。
先程松永さんのお話にあった、水のこともそうです。人口が、ふえもしないのに「ふえるから」という予想で、そうなったら「水の需要が増える」となり、「ダムが要るごと言っているわけでしょう。しかし、そんなことは全くないわけです。たとえ人口がふえても、今よりも水の使い方を減らして節水をすれば、はるかに減らすことができるわけです。
少なくともアメリカやヨーロッパの先進国というのは、すべてそういうステージに入っているわけです。日本だけが「常につくらなければだめだ」と言っている。これでは、海外から見放されてしまいます。「あの国はだめだ」という烙印を押されるのは、目に見えているわけです。日本の経済が悪くなっているというのは、常に要らない公共事業だけに金をつぎ込んでいく、というシステム自体が、もう見放されているということです。
どうしてそのようなことが起きてくるのか。単純に物をつくっておいて、ゴミを何とかしようとか、水を何とかしようという発想。市民自身が何となくそう思い込んでしまっている。だから、政治家が何か言うと、すぐそれに同調してしまうというのが、最大の問題ではないかと思うのです。やはり市民が「明らかにそのようなものは要らない」と、声を上げるべきです。今、自分自身の生活がおかしいのではないか、と思うことです。自分も水やゴミを減らすように努力する。それを今言わないと、日本は本当にめちゃくちゃになってしまうと思うのです。
【木谷】柳沼さんが「流域の視点」を提案したい、と話されていましたが、そのことについて少し触れていただきたいのです。
もう1つ、これからの北海道の海の汚染で心配されている、サハリン沖の原油開発による問題についても柳沼さんにお願いします。
【柳沼】サハリン沖のプロジェクトは、ロシアのプロジェクトですが、アメリカその他でやっています。来年、本格稼動になります。サハリン、樺太からのオホーツク側に、大油田ガスが発見された。それは世界の注目の的になっています。
ところで、流氷は必ず南下してきます。そして、オホーツクの前浜に降りてくるのです。根室海峡もオホーツクですが、オホーツクから太平洋に抜けると、流氷は溶けてなくなっていく。そのオホーツクの締めくくりは、根室のノサップなのです。そこから流氷が出ていくわけです。ですから、あそこは流氷の墓場というのです。要するに、流氷は必ずあそこを通って太平洋に流れ、親潮に乗って南下して、噴火湾に入るのです。これは魚の関係で我々はわかっているのです。