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【木谷】小野先生は海外のことにもだいぶんお詳しいと思います。海を守るということで、我が国の海洋汚染防止に参考になるようなこと、私たちがこれからしなければいけないことをお願いします。

 

【小野】松永さんが言われたように、船底にフジツボが付いてしまうため、有機スズを塗っていたことがありました。そのようなことは、学者の間では前から危ないとわかっていたのです。わかっていたのだけれども、日本の政府はそれを全く放置していたのです。欧米がすべて禁止しているのに、日本だけが全く野放しということがあったわけです。これは一方は船会社、漁業者も多少あるのかもしれませんが、そこからの圧力があるために、政府が認めてしまうということがあります。

大規模公共事業でもそうです。土建屋さんの勢力が強くて、それと結びついた政治家がいて、うまく鉄のトライアングルができてしまっている。これが今の日本の閉塞状況なのです。それを変えないと日本はもうつぶれてしまうところまできているのです。

なぜ、日本はだめなのか。やはり決定的に違うのは、市民の力があまりにも弱すぎるということです。先程の函館市のダムもそうですし、私が今やっている千歳川の放水路もそうです。放水路の場合には、漁業団体が非常に頑張って、「絶対にこのようなおかしいものを造ってはいけない」ということで、反対してくれていたことが、非常に大きいと思います。やはり市民が声を挙げないかぎり、行政は変わらないわけです。これは日本だけではなくて、世界的にもそうです。なぜ、アメリカやヨーロッパでは、あまり変なことが起きないのかというと、市民が常に監視していて、常に文句を言うわけです。それではじめて行政は動くのです。

日本人は、お役所任せであるということが大きいと思うのです。文句は言うけれども、それはブツブツ文句を言っているだけで、具体的な運動にはならない。確かに運動にするのは、大変なことです。自分の時間を使ってやらなくてはいけないことですから、確かに面倒なことなのです。しかし、それをやらないから、日本はこうなってしまったのです。

市民運動というのは大事ですが、市民というのはある意味では素人です。行政から軽く見られる、ということがあります。そこに1〜2人でも、大学の先生や研究所の人が入っていると、行政の態度はガラッと変わるのです。ですから、松永先生がおられることによって、川をちゃんとしなければいけない、という問題に対しても、市民運動が強くなるのです。

ですから、私は市民の人には「大学の先生、特に国立大学の先生を使いなさい」と言うのです。というのは、国立大学の先生は皆さんの税金で雇われているわけですから、皆が使う権利があるということです。逆に言うと、大学の先生は市民から「手伝ってくれ」と言われたときには、必ず行かなくてはいけない、と私自身は考えています。そういうことで、他の先生がそういうことをあまりやらないので、私自身は大変に忙しくなっています。しかし、だれか今そういうことをやらないと、日本の市民運動も育ちませんし、結局、日本の政治がよくならないと思うのです。

私は4月にドイツに行きました。フライブルクという町がありますが、そこはいわゆる「環境都市」として非常に有名な所なのです。そこが一体どのようなことをやっているか。ほとんど缶の飲料がないのです。ビンしかないのです。ビンはすべて、リサイクルというよりも、リターナブル(何度も繰り返し使う)なのです。ですから、まずゴミそのものを、ほとんど出さないのです。

一番驚いたのは、ある小学校では生徒が200人くらいいるのにゴミ箱が1つしかないのです。一切ゴミを出さない。紙はリサイクル資源ですからゴミではない。他のものは何も出しません。生徒がお弁当を持ってきてリンゴの食べカスを捨てます。教室ごとにミミズを飼っているのですが、そこに捨ててもちゃんとミミズが食べてくれたらいいゴミだ、もし捨てて何日もそのままならこういうゴミは一切捨ててはいけないと小学生のときから体験的に学んでいくのです。そういうことは日本でもすぐにできます。

 

 

 

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