【小玉】水というものは、森から始まって、川を通って、海に出る。その中で、海洋汚染の原因の7割を出している陸、という意味で、私たちの果たす役割というのはとても大きいと思うのです。
先進工業国の約3/4の人口、世界の総人口の約5割が都市で生活しています。その生活レベルの中で川にどういった負荷を与えないか、逆にいえば、その都市生活の中でどのようにその都市の中の循環生態系をつくれるか、ということが問題解決のテーマになるのではないでしょうか。
農業の問題、酪農の問題。これを一つの地域で考えると、有機農業プラス酪農の堆肥、農畜複産の一次産業を目指すような形になる、とおぼろげにはわかると思うのです。ただ、いろいろな規制もあります。とても小さな地域でしたら、複合的な有機農も含めて、そのようなことが可能だと思いますが、それがどんどん大きくなっていった時点で、酪農と農業の接点がどこにあるのか見えない。国の制度も含めて変えねばならないところが大きいと思います。
たくさんの人たちが流域で生活して、排水を出す。一次産業というのは、流域に対して、人数も排水もとても少ない状況にあると思います。私は今、江別市に住んでいますが、そこの一次産業従事者は一桁代です。10%を切っています。そういった方たちが、このように森・川・海を大事にしている中で、大多数を占めている生活者は何をできるか。
ゴミ問題が好きなので、廃棄物などのことを話すと長くなります。2〜3時間もかかってしまうとまずいので、まず水ということに視点を当てたいと思います。今、都市の水というのは、ほとんどが俗に言う水利権を買って、上流から水を入れています。そして、上水道できれいな水を、皆さんは水道として使うわけです。先程、都市に降っている雨、いろいろな形で流れてきている川のようなものが、河川の工事によって直線化する、という話がありました。それと、下水道という、いいような悪いような例があると思うのです。というのは、とにかく排水を全部下水にどんどん入れてしまう。下流に押し出してしまう、というのが今までのやり方でした。
一方、雨水管というものがあって、降った雨水は地下に浸透することもなく、アスファルトを通って、道路の横から雨水管に入るのです。それがひたすら川に入っていくわけです。こういう状況の中で、私たちが普段使っている水というのは、はたして水道だけしか使えないのだろうか、という疑問が当然わいてくると思います。そういう疑問を私どもの団体も持ったことから、調べました。
すると、世界レベルは別にしても、水道のないところも参考にしてしまうのは無理がありますが、ずいぶんそういった試みがされています。三宅島では各家庭70%に雨水上水槽があります。もちろん水道も引いてありますが、生活水として使われています。
もっと大胆な試みとしては、皆さんご存じの相撲をやる国技館、そこが日本の都市の水利用として、比較的画期的な試みをしたそうです。簡単に言うと、国技館の地下に大きな雨水槽があります。これが約5トンあり、雨水をためるのです。屋根が8400m2くらいあって、ここに10ミリの雨が降ると8.4トンがたまります。これで、館内の冷房水あるいは水洗トイレの水がほとんどカバーできるそうです。ということは、天然の水でお金をかけて、水利権を払って、浄水場で薬をたくさん入れた水を使わなくても、都市生活は成り立つということになると思うのです。
ヨーロッパ等における下水道の発達というのは、とにかく街が汚かったことから始まったそうです。トイレの設備もなくて、排水物も家にたまったら、とにかく道路に投げっぱなし、という状況だったそうです。とにかく一括して全部町の外に出してしまえ、海は広いからきっと全部きれいにしてくれる、というように下水道がつくられたのです。その結果、下流域からいろいろな問題が出ましたので、対処療法としての浄水処理場ができたのです。下流域の人に迷惑をかけるから、処理しなくてはいけない。では、処理場をつくろう、ということでした。
これは対処療法なのです。基本的に都市の中の生活を変えることなく、出た結果にただ対処するためだけの処理場をつくったのです。日本はインフラ整備の際、欧米のその部分だけ真似てしまったのです。
都市の水は外に出して、大規模処理場できれいにして、また投げてやる。大規模処理場をつくるには、100万人レベルのところで、200ha以上の土地がいります。浄水、沈殿…その結果、一人当たり200万円くらいの税金が使われている計算になると思います。