【松永】私は皆さんの貴重な血税をいただいて、研究をさせていただいています。ですから、研究成果は皆様方に返さなければいけないと思っています。日本海の砂漠化の現象も、私は学問としてとらえていますので、皆さんの「自分はこう思う」という意見をぜひお聞かせいただきたいと思います。
私は戦前生まれですが、戦後も確かに食料難であったと思います。しかし、日本で飢えのために死んだ人は少なかったのではないでしょうか。日本は四方を海に囲まれていて、動物性タンパク質をとることができたからだと思います。私が子どもの頃は、肉を食べる機会は少なかったです。北海道はよくわかりませんが、皆様もおそらくそうではないでしょうか。私は出身が三重県の四日市ですので、伊勢湾の非常に豊富な魚介類を食べてここまで大きくなったのだと考えています。なぜそこに豊富な魚介類があったかを考えてみますと、そこに木曽三川があるのです。長良川、木曽川、揖斐川、やはりこれが伊勢湾の魚介類を豊富にしていたのだと思います。
しかし、残念ながらこの長良川には河口堰ができました。先週、三重県の漁連に頼まれて話をしましたが、河口堰のためにシジミがだめになってきたということです。シジミは海水と淡水の混ざり合う汽水域で生育しますので、河口堰の影響でだめになったそうです。非常に難しい問題を含んでいます。
昨年、長崎県の諌早の干潟を鉄板で埋めました。それで、ムツゴロウが大事なのか、人間が大事なのかという議論になりました。そういう次元の問題ではないのです。干潟は生産・産卵の場であり、水を浄化する場なのです。だから、日本の10〜20年後という視点で議論すべきだった。非常に残念です。
年間8000万人の人口が地球でふえています。しかし、食料はふやすことができません。日本はわずか40%の自給率です。米だけはいいでしよう。温暖化による気候変動が起こる中、日本はいつまで食料を輸入できるか、考えなければ大変なことになります。
中国人口の10%、1億2〜3000万人が我々と同じ生活をしていると思います。残り90%、十何億人が我々と同じ生活をするように働いています。我々もアメリカに「追いつけ追い越せ」とやってきましたが、それと同じように「日本に追いつけ追い越せ」です。今まで穀物1kgを食べてきた者が肉1kgを食べれば、穀物は8kg必要です。すると、食物は当然足りなくなる。中国全部が日本人と同じ生活をしたら、世界の海洋の魚介類、アメリカの穀物すべてが中国に行きます。日本はどうするのか。そういう時代が来るのではないでしょうか。
子どもの頃、アユを箱メガネとひっかけでとる知識はあったけど、2時間で1匹も釣れなかった。しかし、半農半漁の友達はあっという間に10匹釣りました。それを経験しているので、漁業は知識ではなく経験だと思っています。日本では今、漁業では生活できない。だから、後継者がいない。後継者がいなくなると、大変な問題になると思います。
北海道は将来の食料基地として、ぜひとも第一次産業を残す努力をしなければならないと考えます。
【木谷】食料自給の面からも、海洋汚染にはきちっと対応しなければならない、ということですね。
柳沼さんには、海洋汚染の現状と、日本の法律体系もここ10年ほどで大分整備されてきたけれどまだまだ足りないというお話をいただきました。言い足りなかったことを一言お願いします。
【柳沼】松永先生がおっしゃったように、漁業が必要な産業であることは言うまでもないことです。それが、どうして先細りの印象か。これにはいろいろな要素があります。私はこの仕事に就いて30数年になりますが、確信と展望を持ちながらも、大分よれよれになってきました。確信の方は、時としてゆらゆら揺れます。しかし、一定の展望の方はあります。問題をきちっと明らかにすれば、自ずから展望も出てくるのです。
魚に関していろいろ大変だと言われながら、海洋汚染、いろいろな生産のメカニズム、森と川と海という思想がありませんでした。戦後ずっと特に思想のないまま食料供給を追求してきたことは既に触れました。日本の基本的な食料政策にも少し触れます。
「漁業基本法を作れ」と我々は言っています。「我が水産王国」などと言いながら、漁業基本法がない。農業はもう20年以上前にできていて、今は見直し、作り替えです。「漁業等沿岸振興法」というものがあるから「それでいかべ」と、ずっとやってきたのですが、それではだめです。海域の外国漁船の横暴や、価格の問題などいろいろ問題があります。