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新たな環境ホルモンその他、人間が作った物が、人間を害するいろいろことが起きています。我々が悲痛な叫びを持ってやっていた以上に、しっぺ返しが今来ているのです。これは我々自身の生活の中にあります。これを何とかしなくてはいけない、という取り組みを、漁業団体がずっとやっています。

いろいろな廃棄物、ダイオキシンその他の問題もあります。生産拡大をたくさんやっていく中で、さまざまな矛盾に直面しています。増養殖の問題もしかりです。最初の5〜10万トンクラスのホタテ事業のときはよかったのです。しかし、40万トンやらなければ食べていけないときに初めて直面するのです。このウロをどうするか。今まではその辺にポンと投げれば、畑の肥やしになってよかった。ところがポンでは、済まなくなってきた。「漁業だってひどいではないか」という、いろいろと皆様にご迷惑をかけるという現象が起きてきたのです。それではいけない。我々自身も血の出る思いだけれども、事業者としてやらなければいけない。そういう対策も内々でやっています。

農薬の問題も大変な問題です。農業者もやはり生産の向上、いろいろな事業拡大をやっています。我々は全部わかっているのです。しかし、攻撃はできません。同業者なのです。我々は木を植える運動の中で、林業者と手を結んで理解を求めていったのです。農業者を包囲する、それが私の戦略でした。したがって、林業者と農業者が手を結べば、「農業者だってわかるべ」と言うと、「わかる、わかる」となるのです。そうやって、我々は今、別海の一番問題の進んだ部分で、農業者と一緒になって4年も木を植えています。そして町長さんも真ん中に立って、「新酪を誘致して大変だった。迷惑だったけれども、今は懺悔の気持ちで木を植えよう」と、やっているのです。そういう形で、歩みは遅いけれども、このスタンスは間違いではないと思うわけです。

海洋汚染というのはたくさん起きてきています。平成8年の海上保安庁の統計によると、発生が確認された海洋汚染の件数は754件です。その9割方が油です。北海道は370件、保安庁が確認した事故、あるいは摘発した問題の内、大部分が油の問題です。29件が油濁問題なのです。我々漁業者が、座礁して大変に困って処理したものが昨年5件あります。これは新聞で報道されている通りです。そのように油濁事故、流出事故というものは、ナホトカ号はたまたま突出しているだけで、それまでもずっと我々は、嫌になるくらい見てきたのです。

海洋汚染の問題は、単に油だけではありません。戦慄極まることもたくさんあります。そういうものを規制するいろいろな法律その他があっても、現実はなかなかうまくいかないのです。我々も一生懸命やっています。それらの問題解決のために一つずつ力を合わせてやらなければならない、と認識しています。

「魚つきの森」というのは、明治30年、森林法の中にあったのです。「保安林」という制度上の森があったのですが、なぜか「魚つき保安林」だけが惨めに全然相手にされないで、一人寂しく減っていったのです。

この「魚つきの森」は、今、私どもの全国的な漁業者の立ち上がりの中で、明らかにとの2〜3年、見直しの機運が出てきています。17種類の保安林の中に、いろいろなものがあります。襟裳海岸株も、平成5年に我々の要望を入れて、「魚つき保安林」に指定を変えましたが、40年前は「飛砂防備保安林」だったのです。物だったのです。保安上の林だったのです。しかし、1992年のブラジルサミットで検証する中で、この森は飛砂防備保安林ではなくて、魚つきでなくてはならない、と変わってきて、文字どおり大変に立派な森になってきたと私は思っているのです。大変にありがたいことです。

しかし、40年前から「これは生物のためにやっていた」とは、言ってもらいたくはないと思います。そのように教科書に書いてありますが、それはまちがいです。明らかに、これは科学として証明してもらわなければいけない。そして、これは「森と川と海は一つ」という意味を、本当に証明してもらわなければならない。という意味で、私はこれからも襟裳の森は非常に模範的で、問題をたくさん抱えた森であり、そして魚介類の森になると思います。

魚つきの森が明治30年にできて、ずっとそのままになっていたのです。江戸のころは確かにあったのです。

 

 

 

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