松永先生のお話は科学的でしたが、私はもっぱら沿岸の漁業者の通訳というか、思いを語り部として話して歩いている、という感じです。
松永先生は、植樹運動を始めた頃から、「磯焼け」の問題にはずっと取り組んでおられた方ですが、森という視点でにわかに注目され、何回かご一緒する機会がありました。今日は新しい研究のお話も一部あったようですが、いずれにしても、私どもが乞い願っているのは、科学が早く森と川と海のメカニズムを明らかにしてほしい、ということで、ずっとそれを言ってきました。
■「お魚殖やす植樹運動」(漁民の森づくり)
10年前から全道の浜のお母さん方(当時2万人)が、すごい勢いで減っておりまして、今は1万7000人を切っております。このお母さん方が植樹運動を始めたのです。
背景には、沿岸から沖合、沖合から遠洋へと延びた漁業が、200カイリ体制の中に押し込められたため、どうしても沿岸で暮らさなければならないという状況がありました。その中で、やむをえず狭いところで皆で助け合っていこうと、周りを見たら大変に荒れていた。特に、山が荒れていたのです。かつてはうっそうとしていた森がはげ坊主になり、少し雨が降ればそこから土砂が流出するという状況でした。
そういう現象にやむにやまれず立ち上がって、一斉に植樹運動をしたのです。ただそれだけのことなのですが、昭和63年6月からやり始めて、この10年間継続してやっています。今年の春植えを概算すると約36万木ですが、秋植えを入れると今年中に40万本を超えるかもしれません。ヘクタールにするとそれほど大きな面積ではないのですが、1本、2本と植えたお母さん方の、あるいは漁業業者の思いは、非常に大きいものがあると思います。そういうものの指標となると、いろいろ難しいですから、一応私どもの方で数を数えてそれを申し上げています。
それが大きく広がってきて、学者の方々を励まし、もちろん林業者を励まし、行政の尻をたたく、という大きな流れになってきています。ちょうど20万本くらいを超えた辺りで、行政が動き出してきています。そして先般(1998年2月)、「全国漁民の森サミット」を、初めて全国の団体でやっていただきました。漁民による森づくりは、すでに22県に広がっていました。北海道が組織的に最初に始めたのですが、最初とか後とかではなくて、漁業者が一様に、この10年間、あるいは最近になって問題に気がつきはじめて、やむをえず皆さん立ち上がってきた。そういう形が、いわゆる「漁民の森づくり運動」という、大きな流れとなっています。
私が10年前に掲げた目標は6つありました。
第一には「漁業者自身がもう変わろう」ということでした。今までのようなスタンスでやってもダメだ、ということです。その他いろいろ項目がありますが、それはそれとして、到達点として考えれば2つくらいあるのではないかと思います。
ひとつの到達点としては、森に着眼したいろいろな取り組みが起きてきています。森に対する思いは、人類あるいは生活者ということで考えれば、非常にロマンティックなことだと思うのです。そのロマンティックなところを提起して、現実の問題を見せる、広げていく、というスタンスでした。