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J M C の 歴 史

気象庁予報部
予報課予報官
饒村 曜

 船舶への気象情報提供の歴史

 明治45年(1912年)4月14日、北大西洋でイギリスの豪華客船タイタニック号(全長269メートル4万6千トン)が氷山に衝突・沈没し死者1,490人ともいわれる海難が発生した(図1)。

図1 タイタニック号の軌跡

 船舶等が重大な危険を伝える際に発信するSOS信号が決められたのは、ベルリンでの第1回国際無線電信会歳(明治39年)であるが、タイタニック号は記録に残る最初のSOSを発信している。
 しかし、このSOSを近くの船の通信士は席をはなれていて聴取できなかった。また、衝突的にほかの船からタイタニック号にあてた氷山があるとの電報は、乗客からの依頼電報の処理に追われていたため、船長等に伝わらなかったといわれている。
 この海難は、世界中に衝撃を与え、翌年には「海上における人命の安全に関する国際会議」がロンドンに召集され、SOLAS条約(海上における人命の安全のための国際会議=Safety of Life at sea)としてまとめられた.。しかし、大正3年(1914年)7月に始まった第1次世界大戦により各国の批准が中断され、いったん白紙に戻る。
 第2回の同名の国際会議が開かれたのは、第1次世界大戦の戦後処理も済んだ昭和4年(1929年)のことで、場所は第1回と同じロンドンである。
 ここで、SOLAS条約が全会一致で採択され、ようやく、昭和8年1月1日から実施となっている。SOLAS条約より船体構造の強化や救命・消火・無線通信施設の充実、SOSの24時間聴取の義務付け、船の航行に危険な状況の監視とその情報の提供などが始まっている。
日本では、大正3年12月11日から中央気象台が発表する暴風敬報は、逓信省海岸無線電信局から海上船舶に伝達するようになっているが、さらに、その年に始まった第1次世界大戦は、日本に空前の海運ブームを引き起こし、船舶に対して気象情報を提供して欲しいとの声が大きくなっていた。

図1 タイタニック号の軌跡

 

 

 

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