見学の出来る灯台(8)
出雲日御碕灯台
(社)燈光会
灯台の歴史
この灯台は、建設当時は「日ノ岬灯台」と呼ばれました。
明治32年7月、浜田、境の両港が開港場に指定され外国貿易が盛んになってきたので、大型沿岸灯台設遣の必要性が高まり明治33年から3年をかけての大工事の末、明治36年4月完成、点灯しました。
出雲日御碕灯台の一等レンズ
工事には、島根県八束郡森山から硬質の、石材を切り出し、境港から海路、54カイリを運搬し、日ノ岬近くの宇竜に陸揚げして灯塔用材に使われましたが、土木建設の建設機械が発達していなかった当時のことですから随分人手がかかった訳です。
わが国の洋式灯台建設の技術は明治政府が招へいしたイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもとに始まったのですが、わが国は昔から城等を築いてきた経験があって、優れた、石工技術を持っていたので、堅固で美しい石造りの灯台が各地に築かれていきました。
外国人技師は、明治10年代にすべて帰国しまたので、出雲日御碕灯台の設計、施工のすべてが日本人の手によって行われました。
灯台の高さは基礎から頂部まで43.65?あって、今もなお日本最高の灯塔としての地位を保っています。
では、なぜこのように高い塔を必要としたのでしょうか。
それは、この岬が低い台地であったため遠くまで灯台の光をとどかせるにはどうしても塔を高くする必要があったからです。灯台のレンズはフランス製の第一等三面閃光レンズ(白二閃、赤一閃)で、当初は光源に石油灯を使用して、64,500燭光(光度)でしたが、大正7年に電化され光力増大(60万カンデラ)となり、現在では、メタルハライドランプを使用し46万カンデラの光度で日本海を照らし航海の安全に寄与しています。
灯台余話
その1 石造りの灯台やレンガ造りの灯台は、地震に弱いので関東大震災後は、まったく建てられなくなりました。
最後の石造りの灯台は、大正12年9月完成の岩島灯台(山口県)です。
その2 平成8年度、本会は日本財団、灯台のある町大社町の補助金を受けて灯台資料展示室(第1号館)を設置し、灯台見学者から航路標識の勉強になると好評を博しています。
灯台へのアクセス
航空便 羽田〜出雲(空港からバス約40分)電車 出雲市駅〜出雲大社〜灯台(出雲市駅からバス約40分)
高さ日本一を誇る出雲日御碕灯台