ずいひつ
台中港外での走錨
山本 繁夫
岡安 孝男画
その夜船室で休んでいた私は、卓上にある船内電話が鳴ったので受話器を取った。ブリッジ(船橋)に守錨当直(アンカーワッチ)中の3等航海士からであった。
「風が強くなり走錨しています」
「そうか、よーし、今すぐ行くから」
さっそく、ブリッジに上がって海図に記入された現在の錨泊位置を見ると、到着時の位置からかなり南の方に圧流されていた。機関部へ大急ぎでスタンバイ・エンジンをするように連絡をとった。
約10年前、私が乗船していた「オーシャンサクセス号」が、中国の北京で開催される見本市に出品するという機械製品などを、台湾の南西部の高尾(カオシュン)港と北西部の台中(タイチュン)港で積んで、中国の天津(テンジン)港に輸送する航海があった。
高尾港で機械類や雑貨を180キロトン積んで、3月1日夕刻出港して次港の台中港に向かった。岸壁を離れて煩雑な港内を航行し、狭い高尾港口の水路付近でパイロットは下船した。
北防波堤の突端にある白い灯台と南防波堤の突端の赤い灯台の間を通って港外に出たあと、エンジンをフルに上げて進航した。しばらくして右転し進路を337度に向けた。北寄りの風が強く吹いている。
高尾港での積荷が少なかったので、軽喫水のため波浪に翻弄された。時折、波と波の間に入って船首が突っ込んで、水槌打作用(ウォーターハミングアクション)で船体に大きな衝撃を受けた。
またこの衝撃によって船体が身震いしているような振動もあった。180キロトンほどの少ない積荷では空船状態とあまり変わらない様子で、船体へ響動(ともよ)すはげしい衝撃のために、空船時の航海と同じく、プロペラのレーシング(空転)のため、頻繁に対処しなければならなかった。
エンジンルームではこの空転を和らげようと、ガバナー(調速機)を極限まで絞り、遅々とした航行を続け、約200キロメートルの航程を約一昼夜かかって、翌2日夕刻になって台中港外の錨泊地に着いた。左舷錨を投下し、錨鎖を約180メートル繰り出して錨泊した。錨泊位置は台中港の北防波堤が西方に突きだした突端から真方位約247度、約2,600メートルの付近で、錨泊後も依然として風浪ははげしかった。台中港外には約20隻の停泊船があり、船足の入った船が多かった。
三等航海士の報告によってブリッジに上がってみると、暗い海面に白く折れかえる波浪があり、風向は北で、風力計は25メートル前後を示していた。レーダースタンドのスクリーンで位置を測定すると、港外到着時の投錨位置から約400メートル南の方向に移動していた。
本船の左舷後方約900メートル離れた停泊船に、走錨している本船は少しづつ近づきつつあった。その船からしきりに接触の危険を知らせる注意喚起の閃光を発している。
また、VHS(超短波無線電話)の16チャンネル(常時聴取義務を要する)で本船の走錨している状況を知らせてくる。月齢19・5の下弦の月が荒れている海面の表情を照らしている。