スタンバイ・エンジンを依頼して5分ほど経過したころ、スタンバイ完了のアンサーがくる。通常は10分から15分要することが多い。船内の雰囲気を察知して急いでくれたのであろう。こんな時のスタンバイ完了はまったくありがたい。
さっそく転錨を開始、左舷錨を上げ、エンジンを前進にして北西の方向に進航する。左舷前方の停泊船まで約300メートル近づき、右舷後方の停泊船が2,000メートルぐらいになったとき左舷錨を投下する。
錨鎖が200メートルしかないので180メートルまで繰りだした。レーダーの映像によって錨泊位置を測定してみると、台中港の北防波堤突端より245度、約3,700メートルの付近である。風はなかなか衰えることがない。投錨後、しばらくは走錨のおそれはないか、錨鎖の張り具合はどうかなど様子をみていたが、錨がよく効いており船位の移動はなかった。
夜半すぎから少し風力が落ちた。3日朝になって北寄りの風が少し衰えたが、午後になってまた風が強くなり、海面も白波立ってきた。
夕刻になって一段と風が強まり、風速計は30メートルを示すようになっていた。夜になって守錨当直の航海士と、錨泊の船位をレーダーの映像によって何回か確認したが異常はなかった。
3日も異常なく終わり、4日の午後1時40分ころ、守錨当直の2等航海士から走錨しているとの連絡を受けた。さっそくブリッジに上がってみると船はすでに錨泊位置から600メートルほど南に圧流されていた。
幸いにも周囲の船からかなり離れていたので接触するおそれはなかった。しかし走錨が止まらず風下への圧流が続くので、エンジンをスタンバイして抜錨したあと風上に向かって進航した。
風が強く前方からかなりに風圧を受けるのでなかなか進まなかった。エンジンを全速に上げて行きあしをつけ20分ほど北上を続けた。右舷前方の船から700メートルほど離れたあたりに右舷錨を投下した。続いて左舷錨を入れた。
各錨鎖を約150メートル繰りだしていった。錨が十分海底に爬駐(はちゅう)したのを確かめたあと、錨泊位置をレーダーのスクリーンによって測定してみると、北防波堤突端より真方位257度、距離2400メートルであった。
英国版の海図をみると、北防波堤突端および南防波堤突端に灯台はあるが、光力が弱く、後方の光にまぎれてよく見えない。
港内のなかほどに、灯質三連閃光30秒ごと、灯高六62メートル、光達距離27カイリの強い光力の灯台があるので、その灯光をジャイロコンパスで測り、レーダーのスクリーンで本船から北防波堤突端までの距離を測定して、ほぼ確かな船位を得ることができた。
本船が移動している間に少し離れたところにいた2隻の停泊船も、強風のため走錨したのだろうか、航海灯を点灯して転錨しているのがみえる。
まだ暗い東の空には、直角三角形をかたちづくっている琴座のベガ、鷲座のアルタイル、白鳥座のデネブなどの星が見える。近くには月齢21・5の下弦の月が風の強い晴れた空によくさえていた。